◇桜ものがたり◇
お茶の時間の後、榛一家は、満足して帰っていった。
文彌は、玄関先の車寄せで見送る祐里を凝視し、
大蛇がとぐろを巻いて締めつけるかのごとく
祐里のこころを暗黒の闇へと束縛していく。
旦那さまと奥さまが屋敷に入るのを見届けて、
祐里は、ひとり桜の樹の下に向かった。
桜の樹は、傷ついた祐里の心を陽だまりの暖かさで包み込む。
(桜さん、祐里は、お嫁になど行きとうございません。
光祐さまのお側で、ずっとこのお屋敷に居とうございます)
祐里は、桜の樹を見上げてこころの中で呟き、
大粒の涙を零しながら、その太い幹に顔を伏せた。
桜の樹は、爽やかなそよ風と可愛い小鳥たちを呼び、
お雛さまのように可憐な振り袖姿の祐里を抱(いだ)いて慰める。
その真上のバルコニーでは、光祐さまが、
(桜、ぼくに力を貸しておくれ。ぼくは、祐里を守りたい)
と、真剣に桜の樹に祈っていた。
しばらくの間、桜の樹の下にいた祐里は、辛い心を抱えたまま、
夕食の支度を手伝う時間を気にして、
振り袖を着替えるために自室へ戻った。
着る時には、春爛漫を描いた屏風絵のようだった振り袖が、
祐里の心を映して、宵闇に色を失っているように感じられた。