◇桜ものがたり◇
紫乃は、台所で夕食の片付けを手伝う蒼白な顔色の祐里を気遣って
(今の祐里さまをお慰めできますのは、坊ちゃまだけ)
と考えると、祐里に声をかける。
「祐里さま、今日はお疲れでございましょう。
片付けは紫乃と菊代でいたしますので、
坊ちゃまに果物をお持ちして、ゆっくりなさってくださいませ」
「祐里さま、さぁ、前掛けを外されて、
坊ちゃまにこちらをお持ちくださいませ」
祐里は、心配顔の菊代に前掛けを渡して、
果物の盆とともに紫乃と菊代の思い遣りの心を受け取る。
「はい。紫乃さん、菊代さん、ありがとうございます。
お先に下がらせていただきます」
祐里は、光祐さまの部屋へ続く階段を重い足取りで上った。
いつもの階段の数が何十段にも遠く感じられた。
「紫乃さん、旦那さまは、あまりにも酷いことをなされます」
菊代は、祐里を不憫に思って切ない涙を流した。
祐里よりも少し年上の菊代は、お嬢さまのように育てられている祐里を
時折羨ましく感じていた。
しかし、お嬢さまでもなく、奉公人でもなく、自由に生きられない祐里を
この時ほど不憫に思ったことはなかった。
「菊代、旦那さまのなさることに私たちが口を挿むことは許されません。
せめて坊ちゃまが祐里さまのお心をお慰めになられることを
祈るばかりでございます」
紫乃は、旦那さまの絶大なる意向に耐え忍んでいる祐里のひとときの
安らぎを祈って手を合わせた。