◇桜ものがたり◇

 紫乃は、台所で夕食の片付けを手伝う蒼白な顔色の祐里を気遣って

(今の祐里さまをお慰めできますのは、坊ちゃまだけ)

 と考えると、祐里に声をかける。


「祐里さま、今日はお疲れでございましょう。

 片付けは紫乃と菊代でいたしますので、

 坊ちゃまに果物をお持ちして、ゆっくりなさってくださいませ」


「祐里さま、さぁ、前掛けを外されて、

 坊ちゃまにこちらをお持ちくださいませ」

 祐里は、心配顔の菊代に前掛けを渡して、

 果物の盆とともに紫乃と菊代の思い遣りの心を受け取る。


「はい。紫乃さん、菊代さん、ありがとうございます。

 お先に下がらせていただきます」

 祐里は、光祐さまの部屋へ続く階段を重い足取りで上った。

 いつもの階段の数が何十段にも遠く感じられた。


「紫乃さん、旦那さまは、あまりにも酷いことをなされます」

 菊代は、祐里を不憫に思って切ない涙を流した。

 祐里よりも少し年上の菊代は、お嬢さまのように育てられている祐里を

 時折羨ましく感じていた。

 しかし、お嬢さまでもなく、奉公人でもなく、自由に生きられない祐里を

 この時ほど不憫に思ったことはなかった。


「菊代、旦那さまのなさることに私たちが口を挿むことは許されません。

 せめて坊ちゃまが祐里さまのお心をお慰めになられることを

 祈るばかりでございます」

 紫乃は、旦那さまの絶大なる意向に耐え忍んでいる祐里のひとときの

 安らぎを祈って手を合わせた。

< 49 / 284 >

この作品をシェア

pagetop