副社長は溺愛御曹司
ハーバーを出たあと。
運転手さんにはもう話をつけてあったらしく、よろしくね、とヤマトさんが言っただけで、車はどこかへ向かって走りだした。
行き先を訊いても、まあまあとしか言わないヤマトさんに首をひねりつつ、15分ほど走ったところで車がとまったのは。
夕暮れてきた都心の、細い路地を入ったところにある、一見しただけでは中がどうなっているのかさっぱりわからない建物の前で。
けどその隠れ家のような真四角の建物は、ガラスと黒い壁と、温かいオレンジのライトアップが、いかにも居心地良くおしゃれで。
地下にある入口から入ると、そこは。
今日のような装いがぴったり合い、でも肩がこらない程度にフランクな、フレンチレストランだった。
「堤ヤマト様でいらっしゃいますね」
メートル・ド・テルの言葉に軽くうなずき、ヤマトさんが私を先に通す。
外界から隔てられた、半地下の不思議な建物の中、絞られた音楽に、鈍く靴音が響く黒い木の床。
最も奥まった半個室のスペースに通され、私を出迎えていたものに。
私は、声を失った。
メートルが引いてくれた椅子にかけ、正面に座ったヤマトさんを呆然と見る。
「どうして、ご存じだったんですか」
「自分の秘書の人事情報くらい、目を通してるよ」
いたずらが成功した子供みたいに、楽しげに笑いながら、テーブルにほおづえをついたヤマトさんが言う。
でも、そんなの見るのって、就任時くらいでしょ。
誕生日どころか、人の顔と名前も覚えられないくせに?
そんな疑問が伝わったのか、彼が言った。
「覚えやすかったから」
「10月24日がですか?」
この半端な日付の、どこが覚えやすいのか、さっぱりわからない。
けれどヤマトさんは、当然のように、うんとうなずいた。