副社長は溺愛御曹司
「神谷ちゃん、はいこれよろしく」
「お預かりします」
延大さんが持ってきたのは、契約準備書の最終稿だ。
「頑張ったねーって、ヤマトの頭、なでておいてあげてね」
「お伝えします」
なでるのは無理ですが…。
やっぱり、ヤマトさんの言いぶんが、どの程度かわからないけど、通ったんだ。
先日来、ヤマトさんは時間を見つけては、杉さんと話しあいを設けていた。
なんだか嬉しくて思わず笑うと、延大さんが私のデスクに腰をかけて腕を組んだ。
「あいつもさあ、いい加減あのつるっとした肩書き、やめてもいいと思うんだよね」
「そんなお話も、ありましたね」
つるっとした肩書き、というのは、ヤマトさんが使っている英語表記のことだ。
“vice-president”というのは、直訳すれば“副社長”ともなるけれど。
実際、英語圏でヴァイス・プレジデントと言ったら、せいぜいが部長や事業部長クラスの人を指す。
ヤマトさんの立場を正確に表すのなら“シニア・エグゼクティブ・ヴァイス・プレジデント”とでもなるべきなのだ。
けれどこの会社では、なぜか代々“ヴァイス・プレジデント”という簡単な名称が使われていた。
おそらく、まだ会社が成長する前、事業部長と副社長を兼任するような時代があったんだろう。
延大さんが、ヤマトさんの就任時にそれを指摘した時。
ヤマトさんは、別にいいよ、と言ったのだった。
「事業部長で十分だよ、まだ。実際、そんなもんだし」
グローバルじゃないなあ、と延大さんが笑うと、じゃあ、いつか直すよ、とヤマトさんも明るく笑った。
あれはヤマトさんなりの謙虚さと、たぶん少しの照れと、あとは、自分への戒めだったんじゃないかなあと、思う。
この立場で、どの程度のことができるのか見極めるまでは、仰々しい名乗りをあげたくなかったんだろう。