猫 の 帰 る 城
小夜子を乗せたタクシーが走り去って行くのを、僕はずっと見つめていた。
それはそのうち、行き交う車のヘッドライトに掻き消され、見えなくなっていった。
けれど僕は立ち去ることもできなくて、ただひたすら見つめていた。
小夜子。
小夜子、小夜子、小夜子。
小夜子。
僕は何度も彼女の名前を呼んだが、目に浮かぶのは、僕への憎しみを露にした激昂する彼女だった。
僕が傷つけた…
深い悲しみは、ぼろぼろになったこころに容赦なく流れ込んでくる。
けれど受け止めることも出来なくて、こころから溢れたそれは、身体に重く沈んでいった。
小夜子。
僕の右手には、たった今まで掴んでいた彼女の腕の温もりが残っていた。
それは時に、驚くほどの熱を秘めて僕の身体を抱く腕だった。
細く白い、触れれば溶けて指からこぼれ落ちてしまいそうなほど、なめらかで柔らかい腕。
もう二度と、触れることのない…
「行くな…」
小夜子。
小夜子、小夜子、小夜子。
小夜子。
「行かないでくれ」
僕はもう隠すことなく泣いていた。
涙は次から次へと溢れ、とまらなくなった。
僕の手のひらから彼女のぬくもりが消えていく。
彼女の匂いも、生ぬるい風がさらっていく。
残ったのは、胸を突き刺すような苦痛な顔で、涙を流す彼女だった。
「小夜子」
消えてしまったタクシーを見つめながら、僕は何度も小夜子の名前を呼んだ。