桜の樹の下【短編】
「梶井基次郎。」

「え?」


女がふいにつぶやいた。


「さっきみたいに、桜が綺麗で哀しいって話をしたんです。あの時。そしたら貴方、梶井基次郎の話をして。それは桜の樹の下に屍体が埋まってるからだよって。」


男は慌てて桜から離れる。
女はくすりと笑って続ける。


「あの時私もそんな風に恐がって、貴方それを見て笑ってた。」

「…悪趣味ですね。」

「自分のことでしょう?」

「…ええ、自分のことです。」

「え?」


女は笑うのを止めた。
いつの間にか、男は女の顔を見つめていた。
なにか、思い詰めたような、鋭い表情をしている。


「思い出しました。確かに、そうやって一緒に桜を見た人がいたことを。」

「本当に…?」

「ええ。そうやって何年も過ごした人がいたことを。」

「……本当?本当に?」


女は信じられない様子で、男の傍に近づきながら何度も問いかける。


「ええ。確かに、俺にはそういう恋人がかつていました。」

「…思い出してくれたなんて…。」


女は男の胸に顔をうずめた。
しかし男は微動だにせず、冷たい声で言葉を続けた。


「だけどそれは貴方じゃない。」

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