桜の樹の下【短編】
「………え？」


女は弾かれたように男の顔を見上げる。
男は冷たい表情のままだ。


「俺の恋人は、貴方じゃない。」

「………誰だって言うの？」

「俺が聞きたいくらいです、貴方は誰なんですか？」

「私が…誰か…判らないんですか？」


女は男の胸元から離れて、うつむいた。
声は震えている。
男は女との距離を保ちながら、声を荒げた。


「何故俺と彼女のことを知ってるんだ？あんた誰なんだ？」

「どうして？どうしてそんなことを言うの？」

「答えろ！あんたいったい何なんだ！」


混乱する頭と、こみあげる恐怖とに押され、男は怒鳴った。

緊迫した沈黙をわずかにおいて、うなだれたまま、女はつぶやいた。


「…知っていますか？本当は真っ白なんだそうですよ、桜の花びらって。ほんのり紅を帯びているのは、その根元に埋まっている屍体の血が染めているからなんですって。」


この期におよんで意味がわからないことをつぶやく女に、男はたまらず叫んだ。


「そんなことはどうでもいい！質問に答えろ！」

「どうでもよくありません！だって、あの日、桜は白かったんです。」


女が遮るように叫んだ。

< 9 / 13 >
表紙・目次

この作品をシェア

pagetop