猫と隠れ家




「ご馳走様でした」

 二階のお気に入りの席でホッとするひとときを終え、美々は一階で会計をする。

 マスターがレジにやってきたところで、あるものを注文した。

「アールグレイ、百グラム頂いていきます」
「いつも有り難うございます」

 ああ、ほんと好みの声だなあと思う。なんだろう。ここのマスター、ここに来た時からすっごく親しみがあるというか。男なんてどーでもいいと思っていた美々にとって、まったく初対面の男性にここまで好感を抱くことは滅多にない。

 もしかして父親と同業だから? アイツと似ているから? 私、やっぱりバリスタに弱いのかな……。ふとそう思う最近。

 昨今は『バリスタ』と持て囃されるが、そんな言葉が流行る前から美々の父親は『この街一番の元祖バリスタ』だった。

 祖父の代から珈琲豆の卸業が美々の実家の家業。父は二代目で、家業が高じて出した喫茶店が繁盛し、今は市内のあちこちに店舗がある。『真田珈琲』と言えば、この街で一番の純喫茶とも言われている。そんな我が店でも父は先頭に立って珈琲や紅茶を淹れていた。お供に添える菓子やスナックにもこだわってきた。だからこだわり強い頑固者として有名だった。

 婚約者の『相沢雄介社長』との出会いは、父親が参加した飲食業界の集まりの席に美々が同伴した時だった。彼から声をかけてきた。

 『真田珈琲は昔から大好きで、学生時代もよく通っていました』という、まあ、真実だろうがありふれた社交辞令で彼から父に近づいてきたのだ。

 『お嬢様ですか。お父様に付き添ってくるだなんて可愛いですね』なんて。『本気で言っているのか』と口にはせずも、あからさまに顔に出してしまったのだが。相沢社長はそんな美々の顔を見て、楽しそうに笑ってこう言った。『お嬢様も頑固で、気が強そうですね』。そう聞いて今度は父が笑い出してしまったのだ。『まったくその通りなんだよ。良く言ってくれた』と……。それからだった。父は相沢を気に入り、やがては男同士で真剣な業界の話になり、最後に商談になっている。彼の目的は、自分の店との間に真田珈琲との強いパイプ。レストランに珈琲は付き物。街一番の老舗に近づいて損はないのだから。

 だが相沢の良いところは、そんな正直なところだけではなく、仕事も全力でぶつかっているところ。勉強熱心で、喫茶一筋の父ととても話が合っていた。イコール、美々とも話があったと言うこと。それが付き合いが進んだきっかけだった。

「お待たせ致しました」

 はっとする。マスターがいつもの茶葉のアルミパックを差し出してくれていた。






< 5 / 6 >

この作品をシェア

pagetop