製菓男子。
自分であるまじき姿は目に毒で鏡を見ていられず、思わず手で顔を覆ってしまう。
その次の瞬間「邪魔だよ」とぴっちり閉めたドアが開いて、兄が入ってきた。


「オレは忙しいんだよ、どけって」


(朝から苦悶するはめになったのは、兄さんのせいなのに)


胸に迫った言葉を気持ちのまま喋ったら、さぞやすっきりするのだろう。
けれど肌に染みついてしまっている上下関係に、下克上できるほどの精神を残念ながらわたしは持っていなかった。


兄はパジャマの裾から腕を入れ、筋肉質な腹を掻いている。
その油断している隙間は、ある主のご趣味を持つご婦人たちの嗜好を満たすものだろう。
それを横目に無言で立ち去ろうとするわたしの背中に「サボんじゃねえぞ」と兄の言葉が追いかけた。


手の甲で涙を拭い、またドアの外の大河を渡り、朝食の用意をすべく今度はリビングへ移動する。
用意といってもお味噌汁を作るくらいで、あとは昨日の残り物ですますような簡単なものだ。
普段ならそれらを食卓に並べ、自室へ戻り、父と兄が仕事に行ってから後片づけをしていたのだけれど、


「チヅル、仕事は順調か?」
「順調に決まってるだろ、なにせオレが紹介してやったンだからな」


なにが悲しくて、こうして三人で食卓を囲まなくてはいけないのだろう。
普通の一般的な家庭であれば、清く正しく明るい団欒に違いないのだけれど、そういった環境とは無縁だったわたしの精神的ハードルは富士山の如く高い。
まだ一合目あたりも登れていないわたしにとって質疑応答は高等技術に違いないわけで。
それをわかっているのかいないのか、わたしに代わって兄が対応してくれる。


「お前、化粧も忘れんなよな!」
「チヅルは化粧もするようにもなったのか」
「オレの親友がチヅルに講義したんだ」


『大人の身だしなみなんだから、化粧くらい覚えろ』という高圧的な声が、色鮮やかに脳裏に浮かんでくる。



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