【電子書籍化】あの猫を幸せに出来る人になりたい

春休み

 日ごとに寒い日と暖かい日が入れ替わり、暖かい日の数が少しずつ多くなっていくと、風景の中に色が一気に増えていく。テレビでも桜の開花情報が毎日報道され、限定販売品がピンクの色に塗り替えられる春休み。
「花見に行きませんか」と、倉内家から斎藤家へ声がかかった。フルールの定期健診の時に誘われたという。
 満開予定の四日後の日曜日。
 花の家は、犬や猫を預かっている関係で家族旅行がしにくい家である。泊りがけで出かけることがあっても、誰かが留守番に残る形になることが多い。
 倉内家もそれは分かっているようで、昼前くらいから三時間程度、花見を楽しむスケジュールだった。山手に混雑しない良い場所があるという。
 花と母が乗り気になれば、父親もノーとは言わない。それではご一緒に、ということになった。花が倉内と連絡を取り合っていたが、間に子どもたちを入れると話しづらいということで、母同士でスマホのメッセージのナンバー交換すませ、直接語り合うようになった。
 主に花見の料理の打ち合わせだという。互いに持ち寄るので、できるだけ分担して違うものを持って行く方がいい、と。
「稲荷寿司は私が取ったわ」
「えっと、それは勝負か何かなの?」
 母同士の間にも、花が見極めきれない関係のようなものがあるのだと、うっすらと知った春。
 三月も終わりぎりぎりの花見が、こうして二家合同で始まることとなった。

「こんにちは、いい天気でよかったですね」
「ええ、本当に。今日はよろしくお願いします」
 母チームは「うふふ」「ほほほ」という、普段からは出てこない音階の笑い声。
「いい場所ですなー」
「ここの地元に知り合いがいまして、毎年来てるのですよ」
 父チームは、仕事から離れた開放感を味わっている遠くを見る視線。
「満開で綺麗ですね」
「そうだね。綺麗、だね」
 子チームは、のんびりほのぼの桜を見上げている。
 山の途中に十本くらい桜の木が生えており、地元の人らしき人が二組来ているだけの、花見特等席だ。
 さっそく広々としたレジャーシートを敷き、料理や飲み物を用意する。
 これからお花見の宴会が始まると、花は信じて疑っていなかったが、斎藤家が座ったのを確認すると、倉内母が小さな箱を持って来る。
「サプライズですよー」
 首を傾げているとその箱が、何故か花の前に差し出される。向かいに座っている倉内が、そっと箱を開けて彼女に中身を見せる。
「誕生日、ちょっと早いけど……おめでとう」
 出てきたのは小さなホールケーキ。白いクリームの上に、「花さん たんじょうびおめでとう」とチョコで書いてある。
「わあ、ありがとうございます」
「ケーキは私が作ったから安心してね。文字を書いたのは楓だけど」
「母さん……」
 倉内母の補足に、倉内が恥ずかしそうに言葉を止めようとする。
「まあまあ、ありがとうございます。ケーキ、お上手なんですね。そういえば、夏休みの時にはクレープをいただいて……」
「いえいえ、あの時の手巻き寿司、本当においしくて。ありがとうございます」
 母チームの会話がまた流れるように始まった横で、花は箱に添えられていたプラスチックのナイフを取り出す。ここにいるのは六人。花は真ん中から二つに分け、それぞれを大体三つに切って六人分にした。紙皿にサーブして全員に渡す。
「あら、小さいから二人で食べても良かったのよ」
「桜の木の下で、誕生日のケーキを食べるの初めてなんです。珍しくて楽しい体験になると思うので、是非一緒に食べてほしいです」
「珍しくて楽しい体験……確かにそうね」
「じゃあ、ケーキで乾杯しようか……いや、この場合は乾皿《かんべい》か?」
 倉内母は嬉しそうに笑って、倉内父は両手で紙皿を掲げる。倉内もそれに倣う。
「かん……べい?」
「花、皿の音読みじゃないかしら」
「皿にも音読みがあることを、元カナダ人に教えられるのか……」
 一方の斎藤家は、聞きなれない音に戸惑いながら、皿を持った。
 すると、倉内父母の視線が、息子に集中する。視線が音頭を促している。
「あ……花さん、誕生日、おめでとう……えっと、乾皿ー」
「「乾皿ー」」
 音の出ない紙皿。春のうららかな天気。ピンクの花が咲き乱れる木の下で、花は誕生日を祝われる。
 倉内と紙皿をこつんとぶつけ、ケーキを食べた。割り箸で。
 ケーキのカロリーとは別に、今日と言う日の幸福のカロリーもまた、花の栄養として確かに吸収されていくのが分かる。間違いなく、忘れられない誕生日となった。

「花がエイプリルフールに生まれた時は、いっぱい心配したんですよ。学年で一番年下になるし、友達にからかわれるんじゃないか、と」
「分かります。子供の時は、特に些細なことでからかわれたりしますからね。楓もカナダの血が入っているので、日本では浮いてしまって……カナダで育てようかと一時期本気で考えたことがあります」
 父チームは、子供の話を肴に語り合っている。
 可もなく不可もなく、浮くことも沈むこともせずに、何の問題もなく育つことは、実はかなり難易度が高い。本人を取り巻く情報が、少し人と違っているだけでも、簡単にからかわれる対象となる。
 花も小学生の時に誕生日についてからかわれて以来、男子に誕生日の話をすることはなかった。去年倉内に話したのは、とても久しぶりのことだった。
 そしていままでの嫌な記憶が薄れるくらい、素敵な思い出で上書きしてくれた。これから花は、花見のシーズンが来るたびに、今日のことを思い出すだろう。
「楓先輩、誕生日の素敵な思い出をありがとうございます」
 感謝の言葉が足りないような気がして、花はより正確に言葉を尽くそうと思った。
 そうしたら。
 そうしたら、倉内が少し寂しそうな表情になる。何か間違えたかと思って、花はさっき自分が言った言葉を反芻しようとした。けれども倉内が軽く頭を横に振って、まっすぐ真剣な表情を浮かべながら、花をもう一度見据える。
「花さん……来年も、再来年も、花さんの誕生日をお祝いするからね。今年っきり、の思い出、じゃないよ?」
 今日がゴールではない、と彼は言う。一日、一日を大事に積み重ねて、また来年の誕生日に一緒にたどりつこうと言われた気がした。
 正直、花はそこまで真面目に考えていなかった。来年のこと、再来年のこと、もっと未来のこと。そんな薄情な花の気持ちを、倉内は感じ取ったのかもしれない。
「そう、ですね。また一緒に来年も……」
 言いかけて、ふと花は唇の動きを止める。至極当たり前の疑問が頭をよぎったからだ。
「えっと、来年、楓先輩は……卒業ですよね? 大学、行かれるんですよ、ね?」
 倉内の進路について、聞いたことがなかった。春休みが終われば、彼は三年生になる。あっという間に、受験シーズンだ。遠くの大学に行ってしまう可能性もあった。
 ほんの少し未来の話を考えるだけで、こんなにも不透明で不安定だ。花の声にも、そんな揺れる気持ちが混ざった。
「花さん……僕はフルールを、幸せにできる人に、なりたいと思って、いるよ。フルールの一生を考えると、四年も離れて、暮らすつもりはないから、家から通える距離の、大学を選ぶつもり。だから、大丈夫。来年も、再来年も、お祝いできるよ」
 対する倉内は、自分の未来を自分の意思でしっかりと描いていた。フルールの幸せまで、その中に綺麗に織り込んでいる。フルールのおかげで、花もまた大切な友人との近い付き合いを続けることができそうだ。
 猫が十年生きて、人間が百年生きるという単純計算をすると、その時間の差は十倍ある。四年も離れて暮らすのは、猫にとっては四十年、離れ離れに暮らすことと同じ。
 倉内は猫の四十年と自分の四年を、両立できる人だ。どちらかを犠牲にする、ではなく、折り合いをつけながら一緒に幸せになろうと猫と歩いて行ける人なのだ。
「楓先輩、私は楓先輩のそういうところ、とても尊敬しています」
 それが嬉しくて、花は素直に自分の気持ちを彼に伝えた。
「あ、う、うん、あ、ありがと……」
 倉内は照れたようで、表情も言葉も落ち着かなく乱れている。

 そんな二人の横では──母チームはにこやかに、花の父は複雑そうに、倉内父は拳を握って声にならない応援を送りながら見つめていたのだった。
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