【電子書籍化】あの猫を幸せに出来る人になりたい
 途中の休憩広場で昼食をとり、動物園巡りを満喫する。
 ミーアキャットやレッサーパンダの可愛らしさに癒され、ライオンの不機嫌さに苦笑いをした。
 特にゲンキと名付けられたテナガザルは、ひときわ素早くロープを飛び回る様が素晴らしく、しばらく二人でそのめまぐるしい動きに目を奪われた。
 崖を模した斜面で器用に過ごす、シカたちの強く美しい足を眺め、フラミンゴには利き足があるのか、という話題で笑いあった。
 もう一度トラを目にして、動物園を一周したことに気づく。
 出入口近くのふれあいコーナーで、ウサギやモルモットとたわむれる子どもたちを、向かいのベンチに座って眺めながら、水筒のお茶で休憩する。
「いままでの中で、一番楽しい、動物園だよ」
 過去形でしゃべらないのは、まだ動物園を満喫している最中という高揚の火を消したくないからだろうか。
「私も楽しいです……それと、ここに来たのは別の目的もありました」
「別の目的?」
 花の言葉に、不思議そうな表情をする倉内。
「はい……実は、飼育員さんも見に来ました。将来の自分の仕事の参考になるかな、と」
 まだ自分の未来のビジョンを、くっきりと明確に出来ていない花は、自分が卒業後も動物と関わる仕事をしていきたいのか、していけるのかどうか、を肌で感じたいと思ったのである。動物園のチケットは、彼女にとって渡りに船だった。
「そう……どう、だった?」
「それが、全然分かりませんでした」
 可能か不可能かであれば、おそらく可能だろう。良い仕事だとも思う。けれど強烈に、その仕事に惹かれるかどうか、ということに関して言えば、まだ彼女の心は動かなかった。だから、素直にそれを答える。
 未来を「これ」と強く固めて、それに向かって突き進むことの難しさを、花は味わっていた。固め方が分からない。
「仕事を選ぶのは、難しいよね。僕だって、花さんに獣医になる、って言ったけど……大学に、合格できなかったらどうしよう、とか不安になるよ。大学生活もうまくやれるか、分からないし、獣医って、試験に受かるだけじゃ、駄目だよね。ちゃんと動物の命を、助けられないと、いけない。いっぱい、動物の命を、乗り越えないといけない……本当に、自分ができるかどうか、僕にも分からないよ」
 倉内楓が、一生懸命しゃべっている。花の一年先を生きる人間として、語られなかった部分をさらけ出してくれている。
「でも、ね」と、彼の言葉は続く。
「でも、ね……なりたい、って思った、自分の気持ちを、追いかけてみたく、なったよ。まだ気持ちの方が、先を行ってて、僕は全然それに、追いつけていないけど、どこかで追いついて……追い抜きたいと、思ってる」
 倉内楓は、穏やかで優しい人だ。そして自分の決めたことを信じて、進んでいける人。
「花さんは、いまはまだ、何かになりたい、って気持ちは、生まれてないのかも、しれないけど……いきなり全部決めて、しまわなくても大丈夫、だと思う、よ。動物に、関わりたいと思っているのなら……ほら、動物って……動物園にいるだけ、じゃないから。道でスズメに出会った時に、何か思いつくことも、あるかも、だよ?」
 ふれあい動物園の屋根の上で、おこぼれを狙って集まっているスズメに視線が向けられ、花もそちらを見た。
 動物園の中にいながらも、スズメは檻に縛られることはない。不機嫌な檻の中のライオンも、国が変われば悠々と大地を踏みしめて歩いている。
 花の視界が、少し広がって明るくなる。彼女のために、頑張って話をしてくれた倉内楓に、心が温まる。
「本当にそうですね……そういう意味なら、いつかアフリカに行ってみたいです」
「ア、アフリカ!? あ、うん……うん……そういう気持ちを、追いかけてみると、いいよ……アフリカ……ちょっと遠い、けど……」
 倉内が何かを考え込んでいる。アフリカのどこの国か、ということだろうか。アミメキリンなら、エチオピアかケニアあたりだろうか、と花も場所について考えてみた。しかし、実際に行くのは今日明日の話ではない。その間には、たくさんのクリアしなければならない問題があるのは、花も分かっていた。
「高校生がいきなりアフリカ、を目指すんじゃなくて、その方向からなりたいものを探してみたいと思います。ありがとうございました」
「あ、うん……そ、そうだね……花さんなら、きっと、行けるよ……行けるん……だろう、なぁ」
 きっと行ける、が。後半、下がり気味に音でもごもごと濁る。どうしてか、倉内が少し落ち込んでしまった。
「楓先輩……アフリカに何かありました?」
「な、ないよ、アフリカの遠さを、噛みしめて、いただけ、だよ」
「楓先輩は、エチオピアとかに、動物を見に行きたくないです? あ、でも虎はいないから……」
「ま、前向きに、考えるよ。獣医、になるにしても、興味は、あるし」
 虎はいないから駄目かなと、言葉を続けようとした花だったが、倉内が食い気味に身を乗り出してきたので、その勢いに押されて、こくこくと頷いた。もし彼が一緒に来てくれるなら、こんなに心強いことはない。きっと楽しい体験旅行になることだろう。その時は父親の高性能の双眼鏡を借りてこなければならない──そう花は思った。
 近くの虎が、ガウグルルと低く吠える声が聞こえる。
「何だか、楽しくなってきました」
「よかった……うん、僕も……嬉しいよ」
 晴れやかに笑う花と対照的に、微笑む倉内の瞳は水分を多めに含んでいた。

 動物園を心から楽しんだ夜、倉内楓はツーブヤキに投稿していた。
『今日は動物園に行ってきた。たくさんの動物の匂いを持ち帰ったせいか、出迎えにきてくれたフルールに、何度も何度もにおいを嗅がれた。何だか浮気検査をされている気分だった。フルールにネコ科の先輩である虎やライオンの話をしたけど、どうでもいいみたいだ。僕に身体をこすりつける仕事で忙しそうだ。大丈夫だよ、フルール。もし虎を飼えたとしても、君がいる限りそんなことはしないから。でも今日の動物園は……すごく、良かった。いままで行った動物園で、僕はどれだけぼんやりしていたんだろう。動物の名前と形だけ見て、その動物の個性を見てこなかった。スタッフから同じ種の動物でも、それぞれみんな違う命として大事に扱われていることを感じた。それを来園者に伝える努力も、してくれていたんだなと思った。あと、アフリカにも行ってみたいと、今日初めて思った。すごく遠いからといって、あきらめなくてもいいんだ。遠いことを理由にあきらめるのなら、他のことが理由でもあきらめてしまうから……だから、僕は、あきらめないように頑張るよ』

 花は、倉内の心の中にもアフリカに行きたい気持ちが生まれたのだと、嬉しく思った。目的は必ずしも同じではないかもしれないけれども、同じ景色を違う視点で、隣で見られるかもしれない。それだけでも、彼女の心の大きな支えになった。
 大事な友達──いやそれはもう、かけがえのない人。花の中の名誉勲章が捧げられるべき相手だった。

 
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