【電子書籍化】あの猫を幸せに出来る人になりたい

バレンタインデー

「楓先輩、こんにちは。寒いのにすみません。家まで行くつもりだったんですが」
「気にしないで、花さん。むしろ、わざわざありがとう」
 口元のマフラーを、ちょいと指で下げてから、彼が優しく笑う。
 会う機会が減った間に、倉内楓は一足飛びに大人になっていく。言葉のつかえも大分減り、ゆっくりめの落ち着いたしゃべり方が板についてきていた。背すらまたちょっと伸びたのではないだろうか。花の身長は止まってしまったというのに。
 バレンタインデーは金曜日。自由登校の三年生の中には、この日のために登校するという人もいるけれども、倉内は休みだった。
 元々その予定は聞いていたので、次の登校予定を最初は聞いた。花はバレンタイン当日にどうしてもチョコを渡さなければならない、という使命感はなかった。賞味期限は確認しているので、少し遅れても大丈夫だと思っていた。
 けれど倉内とメッセージのやりとりをしている間に、『次に登校した時にチョコレートを渡そうと思っています』と伝えるタイミングがあった。
 そうしたら倉内が、彼女の家まで行くと言い出したのだ。さすがにそれは悪いので、花が家まで行くと言い、そこからお互いすったもんだで話し合い、折衷案として学校帰りによく寄る公園で待ち合わせることになった。
 こげ茶のダッフルコート姿の倉内が、公園で待っているのを見て、花は申し訳なかった。受験生を寒空で待たせるなど、とんでもないことだった。メッセージのやりとりで、花が勝てることは少ないのだが、やはり頑張って家までお邪魔する権利を獲得すべきだった、と。
「ええと、バレンタインのチョコです」
「ありがとう、嬉しいよ、花さん」
 両手で大事そうに受け取ってもらえて、申し訳ない気持ちは残っているけれども嬉しくもある。
「あの、このチョコは面白枠、です」
「面白枠?」
「はい、家で開けて楽しんでください」
 大事な時間を奪いすぎてはいけない。花はさっと受け渡しをすませて倉内と別れようとした。
 なのに気づいたら、家まで送られていた。
 直接会って話したというのに、どうして勝てなかったのか──花は、家に帰り着いて玄関に入った後、がっくりとうなだれた。

 その後。
 倉内楓から写真つきのメッセージが届く。
 猫のミニチュアが二匹。一匹は三毛猫。もう一匹は──白猫。
 それを見た時に、花は「やった」と思わずガッツポーズをしていた。
 今年、花が倉内に贈ったチョコレートは、チョコタマゴと呼ばれるものだった。卵型のチョコの中に、小さなカプセルが入っていて、その中におもちゃが入っている。
 このチョコタマゴには、十種類くらいの猫がランダムで入っている。何が出てくるか、チョコを食べてのお楽しみ、だ。
 花も中身が何か分からなかっただけに、この報告は嬉しかった。
『フルールが出たよ、ありがとう、花さん』
 写真つきで書き添えられた言葉に、花もにっこりだ。
 白猫はどうしても、倉内楓を選びたかったらしい。

 受験生になってすっかり回数の減った倉内のツーブヤキが、久しぶりに更新されていた。
 チョコタマゴの猫たちの写真が飾られている。
『チョコタマゴの中の猫。中に猫がいると分かっていたので、外側の殻にかぶりつくなんてできずに、少しずつ割って分解した。甘い匂いのタマゴから生まれたのは、白猫と三毛猫。どちらもとても可愛い。僕のフルールが白猫だから、どうしても白猫をひいきしてしまうので、せっかくうちに来た三毛猫が寂しくないように、フルールに負けないような名前をつけようと思う。ポワソンとかどうだろうか。魚という意味だよ。僕は四月の魚を大事にしたいから、君に魚の名前を持っていてほしいと思ってるんだ。日本らしい姿の君に魚はとても似合うと思う。ああ、受験が終わればあっというまに春になる。春が待ち遠しい気持ちはあるのに、春が大きな区切りになってしまうことを知っているから足踏みしたくもなる。でも行かないと。次の四月の魚を乗り越えて、でも置いていくのではなくて、できれば連れて行きたい。どこまでも一緒に。ポワソン、僕の新しい運命の猫。小さい君には重荷かもしれないけれど、僕の背中を蹴って勇気を出させてほしい』
 受験で疲れているのだろう。チョコタマゴがポエムになっている。
 何だか倉内が弱気になっている気がした。まさかの三毛猫のフィギュアが、そんな彼の心の支えになっているようだ。カナダには、「四月の魚」というものがあるのだろう。その季節によく獲れる魚だろうか。
 猫に背中を蹴られたいという倉内。
 もし花に頼んでもらえれば、その背中を両手でぐっと押す手伝いくらいならできるのに。その仕事は猫でないと駄目なのだろうか──スマホを置いて、花は両手で空気を押してみた。できるのになあ、と。
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