Bloom ─ブルーム─
一筋、雫が瞳から流れ落ちた時、私の頭上にガバッと湿った何かが被せられた。

嗅いだことのある匂いが私を包み込む。

汗と雨とコーヒーの香り。

そして涙の湿気を含んだ、しっとりした肌ざわり。

「今のお前に、問い詰める資格あるのかよ?」

健さんの声が頭上から聞こえた。

この被せられたものは、健さんの上着なんだ。

なんて便利なものなんだろう。

穴があったら入りたいっていう気持ちを叶えてくれる優れもの。

「里花の涙は安くねぇぞ」

顔をすっぽり隠された私は、上着の上から回された健さんの腕に無理矢理連れ去られた。

パッと見、多分犯罪。拉致。

でも、こんなに救われたと思った瞬間はない。

こぼれ落ちた涙は大樹先輩に見つからなかったかな。

最後の呟きは、先輩の耳に届かなかったかな。

この期に及んでもまだ、どこかにあるかもしれない逃げ道を探してる私は、なんて往生際の悪い奴なんだろう。

もし見てたとしても。

もし聞こえたとしても。

忘れんぼうの大樹先輩のことだから、きっと夏休みを終える頃には、今日のことをきれいさっぱり忘れ去ってくれるんじゃないか……なんて。

「健さん、ありがと」

地下鉄に乗り込んで、上着の隙間からお礼を言うと

「だから、その顔は大樹に見せられねぇんだって。出始めはいい感じなんだけどな。もっと泣く練習しろ」

ポケットからシワくちゃになったポケットティッシュを取り出して、私に渡してくれた。

「絶妙なタイミングの登場に感謝しろよ?」

「……はい」

出来ることなら、後5分早く来て欲しかった。

そしたら大樹先輩の記憶の中で、私はいつも笑顔でいられたのに。

なんて、言えないけど。



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