たなごころ―[Berry's版(改)]
19.嫌な予感
 化粧室の鏡を前に、笑実はリップを塗りなおす。上下の唇をすり合わせて。鏡に映る自分の眸をじとりと見つめた。黒く汚い感情を覗かせる自分の眸。自分のものとは思いたくなくて。笑実は蛇口から流れる水をすくい、鏡に投げかけた。洗面台に両手を付いて、大きくため息をひとつ零してから。笑実はその場を後にする。

 正直、パーティ会場へ戻る気分にはなれなかった。また、箕浪と鈴音の姿を目にしなければならないのかと思うと、どうしても足がそちらへ進まないのだ。このまま、姿を消してしまおうかと。一番簡単な逃げ道が頭を過ぎる。しかし、箕浪に断りもなく姿を消せば、彼は酷く心配するだろう。箕浪のそんな姿を想像するだけで、笑実の中で一番簡単な選択肢は真っ先に削除されてしまう。

 相変わらず、まとわり付く絨毯の慣れない歩みに苛立ち。笑実は廊下に置かれているソファーへ腰を下ろした。会場とは打って変わり、廊下は静かなものである。僅かに、会場からマイクを通した声が時折洩れてくる程度で。クロークと受付にいるスタッフの話し声すら、ほとんど聞こえてはこない。ドアをひとつ隔てた場所では、煌びやかな世界が広がっていると言うのに。
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