たなごころ―[Berry's版(改)]
23.胸の高鳴り
 2階にある探偵事務所として使われている一室に、笑実と箕浪はいた。そこに置いてある、応接用のソファーに、ふたりは並んで座っている。ただ、背もたれに背中を預ける形ではない。笑実の目の前には、無防備にも向けられた箕浪の背中があった。眸を閉じ、片足を投げ出した姿勢で座る箕浪。
 戸惑いを感じながらも。笑実は箕浪から渡されたバスタオルを使い、未だに水気を多く含む箕浪の髪を拭い始めた。呆れたように、小さなため息をひとつ零して。

「毎日生活している場所に、ドライヤーがないって……」
「仕方ないだろう。ついこの間まで、俺には不必要なものだったんだ」

 言われて、笑実は思い出す。数日前までの箕浪の姿を。笑実の手で、今の姿に変わる前の彼を。
 鳥の巣のように酷く絡まった頭髪、暖簾のように自分と世間を遮断していた長い前髪。確かに、納得できる答えである。肩を竦め、笑実は口を噤んだ。

「人に、髪を拭かれるって。気持ちがいいな」
「……美容室へ行けば、いつでも体験できますよ」
「全然違うさ。心を許している相手に背中を預けて、自分を委ねている今とは別物だ。猪俣笑実の、手の温もりが感じる」
「今日が、最初で最後です」

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