たなごころ―[Berry's版(改)]
「素手でコンクリートを殴る女を初めて見た。こんな傷まで作って。女のすることじゃあないだろう」

 箕浪が言っていることに間違いはない。いや、正しいからこそ、言われたくない時もあるのだ。この時の笑実が正にそうであった。傷の手当を受け、湧き上がった感謝の気持ちも勢いよく萎んでゆく。こちらも、やや大げさに当てられたガーゼに視線を落としながら。笑実は思わず唇を尖らせる。
 笑実と同様に、雨に打たれたはずの箕浪の服は、すっかり乾いていた。恐らく、着替えたのだろう。だが、箕浪の乱れた髪は、まだしっとりと濡れていた。自身の視線よりも低い所にある箕浪の頭部に、ふたつのつむじを見付け。笑実は思わず口元を緩ませたのだった。

 ※※※※※※

「猪俣さん?」

 喜多の呼びかけに、笑実は息を呑む。
 いつの間にか。目の前には、A4サイズのファイルを手にした喜多が座っている。本日も、喜多は光沢のある、非常に仕立ての良さそうなストライブのスーツに身を包んでいた。この室内の雰囲気に、非常に合っていると感じさせる。
 笑実の視線が自身に集中したことを確認してから、喜多は足を組みなおし口を開いた。

「お待たせしてすみません。箕浪から話は聞きました。先日の一件。私どもに委ねていただけるとのことですね。ありがとうございます。では、早速ですが。正式な契約をさせていただきましょう」

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