黄昏に香る音色
「お袋に捨てられた和美の父親は、精神的におかしくなり…仕事をやめ、家に籠もりきりになった」

明日香は、啓介の横顔を見つめた。言い様のない…悲しみが、浮かんでいた。


「そして、お袋が自殺したと知った…次の日。彼もまた、後追い自殺した」


タクシーは都市部に入り、周りの景色が明るくなる。

「たまに、様子を見に来ていた彼の母親が、見たものは…首を吊った彼と、餓死しかけていた和美だった」

明日香は、いつの間にか泣いていた。

「それから、苦労したらしい。父親の母親も、中学の頃に亡くなり…その頃から、歌を歌い出したみたいだ。食べる為に」

真紅の歌姫といわれる…和美からは、信じられない話だ。


「外人相手に、英語の歌を歌い…金を貰う。母親譲りの歌の旨さは、評判になった」

明日香の脳裏に、生きる為に、歌う…幼い和美の姿が、浮かぶ。

どんな歌を歌っていたのかは…明日香には、想像できなかった。

「夜間学校に通い、朝まで歌い、昼からバイト…。今は、まるでセレブのように着飾っているが、本当はそうじゃない」

タクシーは、明日香が降りる駅へと近づいていく。

「自分を、捨てた母親から受け継いだ才能により、生かされている…それが、死ぬ程許せないのさ」

啓介は、明日香の方を向き、

「だからと言って…君が同情することもないし…歌ってはいけない…理由にはならない」

タクシーは、駅前に着いた。

啓介は、無言の明日香を心配そうに見つめ、

「ごめん…話しすぎたな…。気にしないでほしい」

啓介はそっと、

明日香の肩を叩いた。


明日香はタクシーを降りると、

頭を下げた。

言葉が出ない…。


「ありがとう…」

やっと、言葉が出た。

啓介は微笑み、

「おやすみ」

静かに、ドアが閉まり、


啓介の微笑みとともに、

タクシーは消えていった。



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