あの日まではただの可愛い女《ひと》。
 葵は、携帯を確認した。

「なぁに? 桜さん?」
「そだね。なんか今日は疲れたから帰るってメールが来たよ」
「あらあら。それはがっくりですねー」
「うっさいなぁ。昨日無理させたから、しょうがない」
「うっわ。ノロケ? ちゅか無理させたって生々しいからやめなさいよ!」

 生々しいかなぁ…と、葵は首をかしげた。正直、七海がたまにしてくるノロケ話のほうが生々しい気がする。桜はまだまだ、葵に対して受身のところが多いが、七海は非常に積極的に恋人に対して振舞うからかもしれない。

「そういや、もういいだろ。なんで桜さん引退しちゃったの?」

 あれ? 桜さん、話てなかったの?
 そう七海はつぶやいてしばらく考え込んだ。

「うーん。主義的には話さないところだけど、まぁいいのかなぁ?」

 そう言って、七海はかいつまんだ形で、引退前に桜に起こったことを葵に話して聞かせた。

「えええ? なんだそれ、ただの逆恨みじゃないのか?」
「ただの逆恨みだよぅ」

 話して喉が渇いたのか、七海は焼酎の金魚割りを頼んで、ごくごくと呑んだ。

「でもほんと、よくトラウマにならなかったもんだなぁって思ったよ。送られてきた画像とかメッセージの記録とかは全部、しばらく証拠だから捨てさせなかったけど、持ってて気持ちのいいもんじゃなかったと思うしっ」
「そんなに?」
「まぁ、終わりかけのサービスだったから、実際上は10人ちょっとなんじゃないかな。でもしつこいのが何人かいて、毎日何枚も自分のモノの画像送ってきててさ~~」
「えええ? それって、トラウマにならなかったの?」

 うーん。と少し目の縁を赤くしているので多分、酔いが回っているんだろうか、結構素直に七海は言った。

「まぁ、桜さん引退して、ほぼ収束してからだけど、その画像をですねぇ…。女子会で批評して大笑いしてたら、意外と桜さんも気が楽になったっぽい」

 うわーそれひでえなぁ。本人聞いたら泣きそうだよ、と女子会の面子を思い浮かべて葵は冷や汗をかいた。

「面白いくらい、短小とか、剥けてないとか話してたから、桜さんも結構知識あると思うよ~。剥けてないのってどこ?とか質問してたしさ~~」

 きゃはは、と七海は大笑いした。
 いや。それとくに知りたい情報じゃないよね、とより一層葵は微妙な顔つきになってしまったが、七海の勢いはとどまらなかった。

「そっから結構、女子会ではいろんな話するようになったかなぁ。どのパーツがどういう風に好きかってのは序の口で、男性のどこがどういう風に色っぽく感じるかとか、もう最初にネタにしたものが、アレだったから、咥えるときのテクニックとか」
「え? ソンナコトまで?」
「うん。結構あけすけな会話するよ。ってか結構、桜さんを気楽にしてあげるってのがまぁまぁ、みんなの共通認識があってさ。男の人怖くないよ。セックス怖くないよってのが裏テーマというか」
「そんなに怖がってたの?」
「まぁ結構本人、その場合聞き手に回るというか、あんまよくわかってないから黙っちゃうというかさ。あとそういうコト、みんなでオープンに話すっていう文化にいないみたいだったからさ。最初そういう話出たときに、顔白くなるくらいびっくりしてたよ」
「へー」

 ああ。まぁ初体験が初体験だから、それもあるんだろうなと思ったが、意外と女子会のおかげでリハビリされていた事実に葵は愕然とした。
 あなどれない、バカ会話…。

「だってもったいないじゃない?」
「何が?」
「男の人と触れ合うとか、体が気持ちいいこと知らなかったり、セックスって楽しいよって事だったりってのもあるけどさ。誰か好きになったりっていうの? 物事ってひとつの局面だけじゃなくていろいろ楽しさがあってさ。そういうのたくさん知ってたほうが、なんか充実感あるじゃん」
「ああ。なるほどね」

 確かに、仕事しか見てない人ではあったかもしれない。

「まぁ半面、オンラインゲーム(DDO)で桜さんがたまたまあったような、ちょっとあまりよろしくない局面も存在するんだけどさ」
「まぁ、そだね。でも実際的にはそういう目にあっちゃったからな。七海たちがいてよかったよ」
「へへへ。でも、今日は葵のおごりなんだからね!」
「ああ。好きなだけ呑めばいいと思う」

 もしかしたら、この人たちいなかったら、桜を持ち帰ってもあんなことは出来なかっただろうなと、葵は思った。

「あーでもさ。ちょっともうイッチョ気になることがあるんだよねぇ」

 七海がふっと、グラスを眺めつつつぶやいた。

「なに?」

 まだ、あの人は変なことに絡まれたりしてるのか? とちょっと葵はうんざりした。

「いや。別に気になるだけで、何かがあったってわけじゃないんだけどさ。男の人とどうにかなるて言うところは意外と桜さんリハビリされてるのかもしれないけど、されてないのかもしれない」
「え?」

 訳がわかんないなぁ、と少し葵は思ってしまった。

「んーーー。うまく説明できないけど、葵とそういうことになったのは、気持ちとか別にお互いないところだったじゃん」

 まぁそうだったよな。俺も桜さんって別に好きとかじゃなくって、たまたまうまく持ち帰れるって感じだったしなぁ、と葵は思い起こした。

「だからその延長で、気持ちと切り離してる感じがするんだよね」
「俺に対しての気持ち?」
「そうそう。いまだって、なんて言って桜さんとそういうことになってるの?」
「桜さんから聞いてるんだろ?」
「甘えていいよって言われてるだけって」

 好きといえば逃げられるから、若干あいまいな定義で桜に触れてもいい理由を作り出したことは自覚していたが、まさかそれが話題になるとは葵はまったく思っていなかった。

「気持ちを出せば、桜さん何らかの拒絶反応起こさないかなぁって思っただけ」
「え?」
「あんたたちの付き合いって、桜さんが自覚しちゃったら普通は付き合っちゃうのとかわんないことしてたってことでしょ? 葵がそうやって、桜さんを徐々に自覚させようとしてるのは普通はよくある手だと思う。でも、なんとなく、自覚しちゃったときの桜さんがどう出るかは私にもわかんないんだよね~」
「そこまで、気持ち否定する理由がよくわかんないんだけど」
「んー。だからハニービーのことが大きいと思うよ。好きってことで何もかも許されるって言う人種の代表格だからさ~」

 そうオンラインゲームを引退するときの事件の首謀者の名前を挙げて七海はグラスをあおった。

「ハニービーさんか。すごい恋愛好き…体質って言うのかな、だったな。相手って言うよりそういう自分に酔ってるところがあったっていうか」
「葵クンのところにも行ったの?あのひと」
「まぁ、めぼしい目立つプレイヤーのところは一度は来てるんじゃないかなぁ。俺も強くて憧れるとかいろいろ言われたことあるよ」
「あーなるほどね。あの人パターン乏しいな。でも、経験値少ないダメ男子には覿面《てきめん》だよね」

 そう七海は嗤った。

「あのときに人に気持ちを預けるのが怖いって何度か桜さん言ってたから、そういう類の気持ちのケアは結局のところ私とかには出来ないんだよ」
「……」

 気持ちを預ける…。たぶんそれは5年前の件も絡んでいるんだろう。
 桜はずっと、執着するということと、気持ちを預けるということの負の面にここ数年間振り回されてきたということに、葵は気がついた。

「こればっかりは、桜さんがすごく誰かに惹かれてくれないと、所詮友達って間柄だと限界があるよ」

 あー面倒くさい人だなーと、葵は思わずボソッと言ってしまった。

「普通なら速やかに撤退することをお勧めするよぅ」

 七海は笑ったが、葵はグラスの酒を飲み干して、そんな簡単なもんなら楽だよねといった。
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