あの日まではただの可愛い女《ひと》。
 ――ううう。頭痛いよぅ…。

 桜は二日酔いでガンガンする頭を押さえつつ、品川で新幹線を降りた。
 昨夜は拗ねる父親の話を聞きながら朝方まで酒盛りである。
 新幹線は朝早めであれば、まぁまぁ空席があるので、予約変更をかけて必死に朝よろよろと布団から起きだして、支度をした。
 父親と一緒に犠牲になってくれた弟達はリビングで3人それぞれ討ち死に状態である。
 弟の嫁たちと母親に挨拶をして、桜は実家を出て新幹線に乗った。
 座った瞬間に爆睡である。新幹線の中でせめて自分の頭の中や、気持ちを整理しようと思っていたのにまったく何もやっていない。
 しかもガンガンと頭がハンマーに殴られるように痛い訳である。

 ――品川でラーメンとか食べて塩分補給したかったのになぁ。

 飲んだ翌日はやっぱり塩分の濃いものが食べたい、そう思いながら、構内のエキュートで惣菜やゼリーなどを買って自分の部屋へと向かった。

 久々に戻った部屋は少しひんやりとしていた。大急ぎでエアコンをつけ、買ってきたものを冷蔵庫に入れて、桜は服を脱いだ。なんだか頭痛がひどくなってるのと、寒さを感じる。水を飲んでからベットに入り、携帯を確認する。

 七海やアキ、葵からもあけおめメールが入っており、葵以外には全員メールを返した。葵にはどう返そうか?そう、メール返信画面を見ながら固まってしまいつつ、いつの間にか桜は眠りに落ちた。





「え?桜さん、インフルなんですか?」

 松本が新年の挨拶を隆《りゅう》にしに行った時に、自分の上司が新年早々休暇を取っていることを告げられた。

「あいつもほんとタイミング悪いって言うか、間抜けだよなぁ」

 のんびりと隆が松本に笑いかける。

「あと1日2日で大丈夫らしいが、どうせ酒飲み過ぎて腹でも出して寝たんだろう」
「いえ。それは流石に、私には…」

 わかりかねますと、松本は隆にやんわりと返した。

「ところで桜から、人事に関して何か聞いたか?」

 隆は笑いを収めつつ、松本に促した。

「役員になられるそうで、おめでとうございます」
「やっぱりな。桜はそういうことはお前に隠さないな」
「あの――。僭越ながらなのですが、桜さんはどうされるんですか?」

 片眉を上げて、隆は松本を促した。

「ここ7年、隆さんの異動には必ず桜さんがセットでついてきましたけど…」
「ふ…。アイツに秘書とか無理だろう」

 デスヨネ、と思わず相槌を打ちそうになるがぐっとこらえる。
 秘書なんて女の園の当てこすりもあり、うまく色々立ち回らないと難しい世界である。そんな人の後ろ暗い機微を汲み取るのは、まずはまっすぐにぶつかっていく桜では難しいであろう。
 それに、経営という部分で考えれば、桜のような能力を持っている人間を秘書という裏方作業に持ってくることはもったいなさ過ぎる。

「まぁ、当面はこの部署まとめてもらうつもりだ。俺の秘書はお前どうだ?」
「は?」
「女の園だし、正直スケジュール管理とお茶汲みがメインの仕事だと思ってるような秘書を俺は必要としていない」

 言いたいことはわかるが、なぜ自分?
 そういうことが顔に出てしまったんであろう、隆は息を吐くように笑った。

「そういう役割を出来る秘書がいれば、お前があの部門のトップに上り詰めることも可能だし、何より桜が推薦してきている」
「桜――ちゃんが?」
「あの5年前の采配といい、この部署でのバックアップフォローの巧さはかなり高評価だったぞ」
「ご存知でしたか…」

 5年前に影武者としてフォローをしていたことに気づかれていたことに自嘲の笑みを漏らしてしまう。

「まぁ、桜のプレゼンシートとか、管理の仕方は俺が全部教えたからな。癖も考え方も全部わかる。そんなもの俺の前に持ってこられたら、あの時お前が何やってたかなんて明白だろ?」

 で、どうだ? と隆は目線で松本を促す。

「隆さんは…今回の人事で桜さんを出世させないんですか?」
「ああ。特に動かす気はない」
「――なぜか伺っても?」
「あいつに足りないものって何かわかるか?」

 なんだろうか、まぁ色々足りないものはあるとは思うが、ここで女子力とか答えたら殴られるかなぁと、少し松本はのんきに思ってしまった。そんな様子に隆は笑う。

「あいつの評価は不平等に見えるってことさ」

 確かにずっと隆の下にいたとなると、桜という人物の評価は隆がずっとやってきたものになる。つまり他の役員からは所詮女を使ってやってきているのだろう、とか、隆の点数が甘いのでは?ということであろう。

「だから今回は動かさず、志岐のビジネスを桜の力で成功させさせる」

 志岐自体は確かに隆の部下となっているが、実際上彼が担当しているビジネスの範囲は安田常務の管掌範囲でもある。つまり志岐が成功すれば、その中で差配を担当した桜の評価にもつながる。
 確かに隆の意図はよくわかったが、その割には自分を秘書として連れて行くとか、力削ぐことをしてやしないかと?と少し思ってしまう。

「なんだ、言いたいことがあれば言え」

 おまえ、俺の秘書やるなら意見くらい言えないと終わるぞ、と言外に匂わされられたので松本は正直に言った。

「タイミングの問題だな。俺には秘書が必要だ。桜がそれを推薦した。桜に与えていた非公式なミッションの一つとして10年後、派閥なんて物を壊すために色々な人材を育成して、各部署に投入させるってのがあった。その視点で桜は今までやってこさせている。その桜が俺の秘書をさせるならお前しかいないと推薦しただけだ」
「なるほど――」
「お前が秘書部仕切ってくれるようになれば、桜も生きやすくなるぞ。あいつ細かいネゴシエーションとか下手だからな」
「一言言ってもいいですか?」
「おう」
「本気で派閥をなくせるってお考えなんですか?」
「もちろん、人はいろんな意見を持っているからな、今後も争いはなくならないさ。でも、それがカエデを腐らせているってことに気がついていけば自浄作用は機能するだろ」
「マジで言ってますか?」
「本気で言って行動しないと望みなんてかなわないさ」

 言外に難しいことは難しい。でも信じないと何も実現しないだろうということをにじませて隆が言う。

「なるほど。隆さんってやっぱりアホなんですね」
「――!?」
「ま。そういうアホはボク大好物なんですよ」

 天然も大好物ですけどね、と松本は笑った。

「わかりました。基本お引き受けする方向で考えますが、いったん桜さんと相談させて頂いてもよろしいですか?」

 隆は当然だ、とばかりに頷いたので、松本はにっこり笑って局長室から出て行った。
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