社内恋愛のススメ



「有沢、どうかしたのか?」


長いこと立ち止まったままの私を、不審に思ったのだろう。

部長が訝しげに、私に声をかける。



「あー、えっと………。」


素直に、このファックスを渡すべきなのだろうか。

この怪文書を、部長に見せたらどうなる?


確実に、上条さんの評価が下がる。

間違いなく、部長の中での上条さんの印象が悪くなる。



真面目で勤勉で、クールなあの人。


その印象を覆すほどの威力を、このファックスは持っているのだから。



「どこに行く気だ。」

「そ、それは………。」

「僕が、君のことを逃がすと思っているのかい?………実和。」


私のことを縛り付けてまで、辱しめたあの人。



「実和。やっと、君と2人きりになれた………。」

「実和、好きだ。君のことが好きなんだ。」


愛しそうにそう言って、私に欲望の全てを吐き出したあの人。



だけど、上条さんが誰よりも仕事を大切にしていたことを知っている。

部下だった私は、あの人が仕事に邁進していた毎日をこの目で見ていたのだ。


上条さんが築き上げたキャリアまで、私が壊してもいいの?

そんなことをする権利、私にあるの?



私の体を奪った人だけど。

私の心を、容赦なく踏みにじった人だけど。


それでも、一時はあの人のことを愛していた。

ずっとずっと憧れていて、心から愛してもいた。



愛していた人。

憧れの人。


上条さんが選んだ未来を守ってあげたいと、そう思うから。



「何でもない………です。」


唇を噛み締めて、そう言う。

そう答えるしかなかった。



「ファックス、どこからだったんだ?」


部長の質問を、軽く交わす。



「取引先からです。私が担当している案件なので、自分で処理します。」


持っているファックスを、影でクシャリと丸め込む。


気付かれるな。

部長には、何も気付かれてはならない。



私だけの秘密にすればいい。


そうすれば、誰も被害を受けない。

誰も傷付かない。



これでいいんだ。

これが、私のやるべきこと。


あの人を守る。


憎いあの人を、許せないあの人を、私が守るのだ。



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