社内恋愛のススメ



部長にバレていないか、内心はヒヤヒヤだったけれど。



「すいません、ちょっとお手洗いに行ってきます。」


私は部長にそう断りを入れてから、企画部の入るフロアを走り去った。








カツン。


私の履くパンプスの音が、廊下の壁にぶつかって弾ける。



カツン、カツン。


最初のうちは、速く速く。

次第に遅くなっていく音。



「………っ、………。」


私の手の中には、クシャクシャになったファックス用紙。


一体、誰がこんなことを。

何が面白くて、こんな物を送り付けてきたのだろう。



廊下の端まで来て、私はようやくその歩みを止めた。


歩くのを止めたのは、疲れたからじゃない。

呼び止められたからだ。



エレベーターの前。

会社には似つかわしくない、その立ち姿。


フワリと揺れる、フレアースカート。

淡いベージュのコートから見え隠れする、雪の様に白い肌。



パッチリした大きな瞳が、真っ直ぐに私を捉える。


覚えてる。

忘れられるはずがない。



私から、上条さんを奪っていった人。

上条さんと、未来を誓い合った人。


2週間前、幸せそうに微笑んでいた彼女が、ここにいる。

私の前に立っている。




「………有沢 実和さん、ですよね?」


私よりもほんの少し高い声で、彼女は私にそう問う。


言葉に、迷いはない。

確信しているからこそ、私に尋ねているのだ。





私の目の前に立つ、その人の名は上条 文香。


小倉 文香という名前から、上条 文香という名前に変わった、あの彼女だった。



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