社内恋愛のススメ



「仕事前で忙しいのに、ごめんなさい………。許してね。」


優しい言葉なのに。

柔らかい口調なのに。


有無を言わせない様に聞こえるのは、どうしてなんだろう。



「さぁ、案内してもらえるかしら………有沢さん。」

「………、こちらへどうぞ。」


私は半ば強制的に、エレベーターの前から連れ出されてしまったんだ。







私が文香さんを案内したのは、会議室。



文香さんの様子からすると、大切な話をするに違いない。


ただの世間話なら、わざわざ呼び止めたりしない。

私を指定してまで、案内をしろと頼んだりもしないだろう。


私の名前を分かっていて、私の存在を認識していて、それで私を呼び止めているのだ。



軽い話なんかじゃない。


きっと、誰にも聞かれたくない話。

聞かれてはいけない話。


そう思ったから、ここを選んだ。



早朝の会議室は、誰も使わない。

パタリと使用中の札をかけて、密室へと彼女を誘う。


文香さんは、取引先の社長のお嬢さん。

上条さんと結婚した後であっても、それは変わらない。



取引先の社長のお嬢さんを、吹きさらしの屋上へとお連れする訳にもいかない。


今の彼女の立場は、主任の奥様。

それでいて、取引先の社長の娘。


私の直属の上司である、上条さんの結婚した人なのだ。



失礼のない様に、対応しなければならない。


早朝の会議室。

それ以外に、いい場所が思い浮かばなかった。




「あ、あれ………あなたは、小倉社長の………。」


すれ違った部長が、目を丸くして驚いている。


無理もない。

こんな朝早く、主任の奥様が来るなんて誰も思わないだろう。



< 328 / 464 >

この作品をシェア

pagetop