社内恋愛のススメ
日が暮れて、上条さんの車は海沿いの道を離れていく。
潮の香りが消えて、排気ガスが充満する世界へと戻る。
オフィス街がある都心に戻る最中も、鼓動の速さは収まらなかった。
ある場所に車を止めた、上条さん。
ある場所とは、もちろん私の住むマンションではない。
上条さんが車を止めたのは、ホテルの前。
テレビでよく特集を組まれる、有名なホテル。
ガイドにも載ってしまう様な、一流ホテル。
私なんかが入ったことのない、煌めきに満ちた空間。
大きなホテルの建物が、夜の闇の中に浮かんでいる。
(うわ………、ここって、確か1泊5万円はするホテルだよね?)
この間、テレビて見た気がする。
つい最近も、女性誌でチラッとこのホテルのランチ特集を見たばかりだ。
私には、手が届かない場所。
全く縁のない場所。
いくら会社勤めの独身とはいえ、それほど余裕がある訳でもない。
実家が裕福なら、もっとこういう場所にも来る機会があるのだろうけれど。
あいにく、私は一般人。
普通の家庭で育った、普通の女の子だ。
地味に、そこそこ慎ましい生活を送っている私には、無関係のホテル。
ニュース番組の特集で紹介されていて、ここのレストランのフルコースの映像がテレビの画面いっぱいに映っていて。
それを見ながら、他人事の様にこう言っていたのだ。
「あー、めっちゃ美味しそう………。やっばい、食べたーい。」
切り分けられた、ローストビーフ。
繊細な盛り付けをされたサラダ。
飴色のスープ
ゴクンと唾を飲み込んで、思わず独り言。
そんな場所の前に、今、自分がいるのだ。