ボレロ - 第二楽章 -

10. tranquillo トランクィッロ (静かに)



夕食後のひと時、家族はそれぞれの場所でくつろぐ。

母は叔母を相手に長電話の最中で、朗らかな声がリビングにも届いてくる。

姉妹は大人になってから親しくなると聞くけれど、母も姉妹仲がよく、

四人姉妹の長女の母のもとには、日替わりのように叔母たちから電話がある。

今夜の電話の相手は佳苗叔母さま、ということは、同居しているおばあちゃま

の愚痴かしら……

そう思ったが、受話器を持ちながらうなずく母の顔の様子から察するに、

外出のお誘いのようだ。


始まりを待っていたようにテレビの前に座った妹の紗妃は、最近人気のドラマ

に見入っている。

はじけるような若さの俳優たちの、少し頼りない演技が素人っぽさの魅力なの

かもしれないが、とてもではないが共感のできない展開で話が進んでいく。

私にとってはつまらないものでも妹にはそうでもなく、こんなところで私たち

姉妹の年齢差を感じるものだ。


月が綺麗ね……とつぶやいたところで、家族の誰も 「そうね」 とは答えて

くれそうにない。

リビングの窓辺に立ち、満月に近い月を眺めながらデミタスカップを傾けた。

ほろ苦いエスプレッソが喉を通り過ぎ、芳醇な香りが鼻へと突き抜ける。



「コーヒーシュガーやミルクを加えると、また違う味わいがある。 

ブラックだけが正しい飲み方だと決めつけるのは、どうかと思うね」



甘いものを好む宗らしい発言だと思っていたら、そんな単純な発想では

なかった。



「コーヒーはブラックで飲むのが元来の味を損なわず、

それこそが正統な飲み方だと主張する人は、 

ほかの味を知らないからそう言うんだ。

はなからダメだと決め付けず多方面から見聞きし経験する。

第三者の意見にも耳を傾ける。

物事を一方向からとらえると、見えるものも見えなくなってくる。

そう思わないか」



評判のエスプレッソがあると聞き出かけた先で、シュガーを入れた味わいも

お楽しみください、と告げたウエーターの言葉が気に入ったと言いながら、

彼の口が滑らかに動き出したのだった。

こんなときの宗は饒舌になる。

エスプレッソのカフェインは、一杯のコーヒーより少ないって知ってた? 

と、こんなことは教えてくれるのに、互いを見つめ濃密なときを過ごすときは 

”言わなくてもわかっているだろう” とばかりに口数は少なくなる。 


けれど、あの夜は違った。

キスをじらしながら、彼の唇を求めて懇願する私を抱いて、耳元でささやいて

くれた言葉は、私の心を瞬時に満たした。

決して彼からは聞くことのない言葉だと思っていた。

宗の私への愛情を確信しているから、言葉にしてくれなくてもいいのだと

期待もせずにいた。

まさか言葉にしてくれるとは、思いもよらなかった。


”心から……”


それに続く告白に、私は彼と深く絆を結んだ。




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