さよならの魔法
どんなに綺麗に洗い物をしたとしても、母親の口からは同じ言葉。
キッチンは、あの人のテリトリー。
あの人にとって、誰にも触られたくない場所の1つ。
片付けをしたって、何をしたって、結局は変わらない。
自分ではない人間に、キッチンを使われたくないのだ。
だから、私は、家では料理をあまりしたことがない。
母親と並んで、キッチンに立った記憶がない。
それでも、今日は料理をしたかった。
どうしても、キッチンに立ちたい理由があった。
紺野くんにあげるチョコレート。
初めて好きな人にあげるチョコレートは、自分の手で作りたかったんだ。
自分の家のキッチンが使えないことは分かっている。
だから、無理を言って、橋野さんに頼み込んだ。
今日だけでいいから、キッチンを使わせて欲しいと。
「別に構わないの。だって、誰もいないし。」
「でも………」
「うちの親、共働きだから。夜遅くまで帰ってこないんだもの………。」
橋野さんはそう言って、目を伏せる。
垣間見えた、寂しげな表情。
うちとは違って、橋野さんの家は共働きらしい。
私の母親は専業主婦だ。
父親の文句ばかりを言っているクセに、父親が働いてきて稼いだお金で暮らしている。
それが当たり前のことだと、言わんばかりに。
いつも母親が家にいるのが、私にとって普通のことだった。
けれど、橋野さんの場合は違う。
両親はいないもの。
学校から帰っても、誰もいない家。
それって、どんな気持ちなんだろう。
「橋野さん………。」
言葉をかけられずに彼女の名前を呼べば、橋野さんは気まずそうに苦い表情を浮かべる。
「慣れっこだから、天宮さんは気にしないで。ね?」
1人ぼっち。
そんなところも、私と彼女は似てる。
私は家に誰かがいても、1人ぼっち。
愛してもらえない。
頼ることさえ出来ない。