さよならの魔法
(………っ、読めないよ………。)
いつもなら、熱中して読める。
物語の世界の中に入っていける。
今日に限っては、それが出来なくて困る。
緊張を紛らわせたくて、本を広げているのに。
震える手が、震える心が、集中しようとするのを阻む。
本の内容なんて、ほとんど入ってこない。
真っ赤に染まる頬を隠す為の道具に成り下がってしまっていた。
「おはよー!」
「あ、おはよ。今日も寒いねー。」
1人の空間が打ち破られる。
静けさだけが支配していた空間が、ざわめきに取って代わり、支配されていく。
緊張する私の横を通り過ぎる、何人ものクラスメイト。
そこに、紺野くんの姿はない。
(紺野くん………。)
紺野くんが登校したら、真っ先に渡そうと思っていた。
用事があるからと呼び出して、誰もいない場所で渡そうと思っていた。
肝心の紺野くんが来なければ、このチョコレートの意味もなくなる。
バッグに眠ったままのチョコレートの箱に、そっと触れてみる。
初めて、誰かの為に料理をした。
大好きな人にあげたくて、チョコレートを作った。
どうしたんだろう。
紺野くんは、どうして未だに登校してこないのだろう。
いつもならば、紺野くんは既に学校に来ている時間だ。
それは、紺野くんが部活に入っているから。
1年の時から、弓道部に所属しているから。
運動部には朝練がある。
弓道部の朝練は自由参加であるらしいけれど、自由参加の朝練に頻繁に顔を出していることくらいなら、私だって知ってる。
真面目なのだ。
明るくて、みんなの人気者で。
それだけじゃなく、根も真面目な人。
それが、私の初恋の人。
学校と家との距離も近い。
部活の朝練にも、参加している。
早めに登校する理由がある紺野くんが、まだいない。
それだけで、もういても立ってもいられなくなる。