さよならの魔法



「ただいまーーー!」


甲高い声が、家の中に響く。

いつもは不機嫌なその声は、今に限って言えばとても上機嫌。


ヒステリックな声じゃない。

とても楽しげな、弾んだ声だ。



(お母さん、帰ってきたんだ………。)


眠い。

ああ、まだ眠いのに。


半分、夢の中に沈んだままで思う。



帰ってきた。

帰ってきてくれたんだ。


良かった。

………良かった。



ヒステリックでうるさいけれど、それでも、一応は母親だ。

ご飯だって作ってくれやしないけれど、家族なのだ。


いないよりは、いてくれた方がいい。

誰もいない家にいるより、うるさいけどいてくれた方がいい。



その方が、まだ寂しさを感じずにいられる。

心の闇を忘れていられる。


再び眠りに身を任せようとした時、別の人の怒声が鼓膜を激しく打ち付けた。





「おい、今、何時だと思ってる!?」

「………っ!」


反応したのは、その場にはいない私の体。

聞こえたのは、怒りに満ちたお父さんの低い声。


私には優しいお父さん。

そんなお父さんの、別の一面。


娘の前での顔と、夫として顔は違うのだ。



「こんな時間まで、どこに行っていたんだと聞いているんだ!」


誰もいないと思っていた家。

私がうたた寝をしている間に、どうやら残業を終えたお父さんは帰ってきていたらしい。


残業を終えたお父さんよりも、お母さんは更に遅い時間に帰ってきた。

いや、帰ってきただけでもマシだと思うべきか。


お父さんの低い声によって、私の意識は一気に覚醒してしまった。



(お父さん、いつ帰ってきたの………?)


私が宿題をしている時には、まだ帰っていなかったはずなのに。


私が寝ていると思って、静かにしていてくれたのだろうか。

物音を立てずに、そっとしておいてくれたのだろうか。


お父さんらしいその行動に、心がにわかに温かくなる。



体を起こして考え込めば、すぐに耳に入ってくるのは、両親の言い争う声。



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