君に愛の歌を、僕に自虐の歌詞を





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クリスマスに草野さんとデートの約束をした僕は、ひたすら有頂天だった。

終業式の日の大掃除もやたら真面目にこなしたし、通知表の内容が散々でも楽しかった。 式の間中ずっと立ってなくてはならなくても疲れなかった。


早々に帰宅すると、いつものように店番をした。


いつも店番ではギターを弾いてるのだが、今日は違う。


「――……漢字が多くて目が回る」


本を読んでいる。

草野さんから借りた、夏目漱石の「夢十夜」が表題の文庫本だ。 何だか難しい。 夏目漱石という奴は何て難解な夢を視るんだろう。


草野さんは「面白いよ」と言ってたけど、僕にはよく解らない。 というか漢字ばかりで、ストーリーを理解する程の余裕が無い。 国語は苦手だ。 ――――勉強が苦手だ。


「……やめた」


読み始めて三分もしないうちにリタイアした。

本なんか読みたくない。 僕には何の意味も無いと思う。 読んで価値があるのは、草野さんみたいに聡明な人だ。 僕とは次元が違う。


文庫本をカウンターに置き、傍らに立て掛けたジャズマスターを持ち上げた。 それを構えて適当に弾き殴る。


ガンガンに弾いた。 下手すると弦が切れるかも知れない。


胸の中がモヤモヤしていた。 どうしたら良いのか解らなかった。

草野さんに会いたい。
抱き締めたい。
キスしたい。

でも、僕じゃないんだ。 草野さんには僕じゃないんだ。
本当は、草野さんは僕じゃない誰かに会いたいんだ。 その人とキスしたり抱き合ったりしたいんだ。
それが解ってるのに、知らないフリして彼女と顔を合わせる何て虚しいし悲しい。



もし、僕があまり彼女を好きじゃなかったら、きっとそれには気付かなかった。 気付けなかった。

僕は阿呆みたいに彼女が大好きで、彼女の事ばかり見ているし、彼女の事ばかり考えている。 人間の直感みたいなモノが、そのせいで余計強く働く。


泣いてしまいたかった。




「あのー……」

「ふぇっ?」


カウンターの向こうから、男性客らしき声がして顔を上げた。


「これ、買いたいんですけど。 数分前からずっと待ってました」

「ごっ、ごめんなさい!」


長い髪の毛を無造作に伸ばした男性が、財布片手に立っていた。



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