ピエモンテの風に抱かれて
Prologo




北イタリア・ピエモンテ州都のトリノ。アルプスの山並みと大自然に囲まれ…、


統一イタリア最初の首都となった、歴史ある美しい古都。





「あ、い、う、え、お、か、き、く……」




遠くから響くカウベルの音と共に、丘の上から少女の声が聞こえる。



「ジュリ、すごい! ひらがなが全部読めるようになったね」



「でもね、<お> と <を>って、なにがちがうの? リュウはわかる?」



「う~ん。僕もまだよくわからないんだ。パパに聞いておくね」



「うん。ジュリも、ママにきいてみよおっと」



ここは街の中心から車で小1時間ほどの郊外にある、湖のほとりから丘の上までをとりまく広大な老舗ワイナリー。

祖父のジュゼッペが大事に育てた葡萄の樹の下で、黒い髪をした樹里は大きな青い瞳を輝かせていた。



「リュウ、こんどはカタカナをおしえてね」



龍は左手を伸ばして葡萄を一粒取ると、樹里の口に持っていった。



「いいよ。日本語って本当に面白いよね。そうだ、こんなの覚えたんだ。日本のね、古い歌なんだって」




< 笹の葉さ~らさら~、のきばに揺れる~~… >




山間から吹く穏やかな風に乗って彼の亜麻色の髪がサラサラとなびくと、

まるで天使の歌声だといわれるボーイソプラノが、樹々の香りのする空気に溶け込んでいく。

そして晴れ渡った大空を眺める彼の漆黒の瞳は、遥か彼方にある日本という国を既に見据えていた。

もうすぐ7歳になろうかという、こんなにも幼い少年が -。




「うわあ、リュウはなにを歌ってもうまいのね! これはなんのうたなの?」



「七夕っていうお祭りがあってね。本当は中国の言い伝えなんだけど…… 」



樹里はその不思議な話にジッと耳を傾けた。しかし最後にはポカンとして目を丸くする。



「それでおわり?」



「う、うん。絵本も読んでもらったけど、お話はそこで終わるんだよ」



返答に困った彼に、樹里は更に追い討ちをかける。



「えぇーー? いちねんに、いっかいしかあえないの? おりひめとひこぼしは、それでもしあわせなの?」



「幸せになりましたって、パパは言ってたけど…」



「そんなのかわいそうだよ! そうだ、二人がまたいっしょにくらせますようにって、ジュリがたんざくにかいて、おねがいすればいいのかな?」



自分の体に半分流れる東洋の血が無意識に騒ぐ。樹里は物語に引き込まれずにはいられなかった。そう言われて成る程そうか、と納得した龍も、ニコッと優しい笑顔に変わる。



「ハハ、ジュリは優しいね。きっと二人も喜ぶよ」




『ジュリー、リューウ! こっちへおいで。搾りたてのブドウジュースだぞー』




「あ、ジュゼッペ祖父さんが呼んでるよ。ジュリ、行こう!」



「うん!」



キラキラと輝く湖が見える丘の斜面を手を繋いで駆け降りると、


足元からフワッと風が舞い上がった。






幼い二人を優しく包み込むように -。



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