ピエモンテの風に抱かれて

「そんなに笑うなよ。てか…、ん? どうかしたか?」



「あ、ううん…なんでもな…」



聞きたくても聞けないことがある。龍自身が知らないかもしれない噂を直接彼の耳に届けてもよいのだろうか −? 返答に困り、しどろもどろになっていると、龍はフウッ、と深いため息をついて樹里の側に歩み寄った。



「俺はまだ好きだよ、ジュリのことが」



「え…」



両肩に手を置かれ、まだ濡れている長い睫毛の奥から切なげな瞳で見下ろされる。樹里の心臓がトクン、と波打った。



「トリノに残してきたこと、ずっと後悔してた」



「だったらどうして…」



どうして連絡をくれなくなってしまったのだろう −? 幾つもの疑問が頭の中を行き交う中…、

龍はあまりにも意外な告白をした。



「サーシャが、あいつがさ…、トリノを離れる時に一言だけ言ったんだ。ジュリを泣かせるようなことだけはするな、って」


「え? サーシャが、そんなことを?」



「それを聞いた時に確信した。アイツはジュリのことが好きなんだってね」



「…ん? すき??」



トクンと波打った心臓の音はどこへやら、悔しそうな表情を浮かべる龍とは真逆に、樹里の目は点になっていた。



「アハッ、勘違いしないでよ。サーシャにそんなこと言われたこと一度もないわ。それに彼にはロシアに彼女が、例の従妹がいるじゃない」



すると龍は呆れたような顔つきになった。



「何年前の話してんだよ。とっくに別れてるに決まってるさ。最近その話、サーシャから聞いたことあるか?」



「う、ううん。同じ会社といっても彼は一年の半分はバスケでいないから、そんなに話せる訳じゃないのよ。現に今だって全国大会に向けての強化合宿に行ってるし」



それは本当だった。事業団のバスケット部員として入社しているサーシャは本来仕事などしなくても全く構わないのだが、彼は本人の意思でキッチリ仕事を熟している。かなり珍しいタイプだろう。

龍はフン、と鼻で笑うと



「遠距離恋愛がそんなに長く続くワケないだろ? あんなに仲の良かった俺達でさえ危うくなったんだ。サーシャだって同じことになってるはずだ」



キッパリとそう言い切ると再び語り出す。



「レナも言ってたよな。アイツが魅力的な男だってのは俺だって充分わかってた。ジュリが心変わりするのも時間の問題だろうと思うと、居ても立ってもいられなくて何度イタリアに帰ろうとしたことか。でも仕事は忙しくなる一方だしさ。そうこうしている内にジュリからの連絡もパッタリ途絶えるし。だからてっきりサーシャと……」



連絡がパッタリと、とは!? 龍が最後まで言い切らない内に樹里は、待って! と叫んでいた。

< 105 / 116 >

この作品をシェア

pagetop