ピエモンテの風に抱かれて
龍の話はこうだった。
樹里との三回目の再会をキャンセルしたその年はとにかく忙しい時期だった。出演した映画が大ブレイクしたのをきっかけに仕事の量が一気に増え、睡眠時間までも削り、自分の時間を持てない日が続いたと。
そんなさなかに起きたのがストーカー事件だった。
「アドレスや電話番号なんて、いったいどこで調べたのか…」
龍は思い出したくないといった表情で首をブンブンと横に振ると、リビングのソファーにドカッと座る。樹里もそっと隣に寄り沿った。
メールや電話攻撃は当たり前。行く先々にも必ず出没し、自宅にまで追いかけ廻された。しかしよほどのことがない限り警察は動けない。
相手もそれを計算してるのか、ストーカー法に触れないギリギリのラインで狙ってくる。やっと警察が介入できたのは、発生から4ヶ月後だった。
「家族に迷惑がかかるから俺だけこのマンションに引っ越しをすることになって、連絡先も全部変えた。でも皆に知らせるのが大変だったから、プロダクションのスタッフに手伝ってもらったんだ」
樹里は次第に話が見えてきた。
「イタリアの友達や知り合いには、日本語のわかるジュリにメールしてもらえれば全員に伝わるからとお願いしたんだ」
「そのメールが、手違いで来なかったってこと?」
「そうだな。それしか考えられないか。悪かった、俺がちゃんとやっておけば…」
「そ、そうだったの。リュウがそんな大変な事件に巻き込まれてるとは知らないで…、ごめんなさい」
そもそも龍はマメに連絡を取るタイプではない。こんなところで彼の大雑把な性格が災いしたのだ。しかし連絡をくれようとしていた気持ちは受け入れるべきだろう。
長い長い誤解。これは運命の悪戯。そう思うと、一気に気が抜けてしまった。
「人任せになんてしなければ良かったんだ。本当にごめん…」
まだ悪びれている龍に、樹里は小さく首を横に振った。
「仕方ないわ。勝手に誤解して確認しない私だっていけなかったんだし」
「ジュリは優しいんだな、昔のままだ」
次の瞬間、肩に手を回されてグイッと身体を引き寄せられた。
「あっ……」
一気に心臓が高鳴り始める。すると形の整った彼の唇が近づいてきて……
− あ、キスされる… −
久しぶりの感覚に気恥ずかしさが先立ち、睫毛を伏せて彼の唇を受け入れようとした。その時 −。
− キ……ス? −
樹里の脳裏に例の週刊誌の写真がフラッシュバックする。気がつくと彼の胸を両手で押し返していた。
「な、なんだよ。いいムードだったのに」
そんな甘いムードに酔いしれている場合ではない。姿勢を正すとキュッと口許を引き締め、冷静に彼を見つめた。
「まだ話していないことがあるわ」