ピエモンテの風に抱かれて

樹里は慢心の力を込めて龍の腕を振り払うと、彼の頬をひっぱたいていた −。



「ぃ…ってぇー…」



叩かれた頬を手で押さえた龍は、改めて樹里に向き直った。



「おい…、いま本気で殴ったよな?」



「あ、当たり前でしょ! 全っ然リュウらしくないじゃない。一体どうしたっていうのよ!?」



真剣に訴える樹里とは裏腹に、龍はあの妖艶な流し目を本来のクリッとした丸目に変えて瞳を輝かせた。そして満面の笑顔になる。



「今の上手く演れてた!?!?」



「えっ?」



その瞬間、樹里はハッとした。龍の本質に気付いたのだ −。彼は嬉しそうに続けた。



「次のドラマの台詞だよ。なあ、聞いてくれよ! 服装センスのへったくれもないこの俺が、天才デザイナーを演るんだぜ。オマケに女たらしのナルシストでメッチャ性格が悪くてさあ〜、そんな役初めてだから苦労してたんだ。でもジュリを騙せたなら大丈夫だよな? なっ!?」



こうなると返す言葉もない。2年振りの波乱に満ちた再会にも関わらず、こんな時まで彼の頭の中は演技のことでいっぱいらしい。



「ちょうどジュリがドラマの相手役と似たような台詞を言ってくれたからインスピレーションが沸いて…」



龍が言い切らない内に樹里は指摘せざるを得なかった。



「あなた、まさか誰それ構わずに、見ず知らずの人ににでもこんなことしてるんじゃないでしょうね!?」



「やっ…べえ、バレた…?」



ばつの悪そうな表情を浮かべてエヘッと舌を出す。その時、龍に対する数々のバッシングが頭を過ぎる。



「ネットで散々言われてるのよ? 電車の中で女の子を誘ったとか、いつも鏡見てるとか、サインを冷たく拒否したとか……、それって全部演技のためだったのね!?」



「あー、そういえば電車の中でナンパしたっていうのは本当かな」



「は……ぃ?」

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