ピエモンテの風に抱かれて
悪びれずにそう言った龍に、またしても樹里は口をあんぐりと開けざるを得ない。
「おーっと、誤解すんなよ? 電車の中で目の前で座ってる女がいきなり化粧を始めたんだ。呆れ果ててわざと言ってやったんだ。俺を誘ってるのか? って」
すかさず箱根の登山鉄道の中で女子高生が化粧をする姿が思い出される。そのシーンに生粋の外国育ちである龍を当てはめてみると、容易に彼の行動が想像できた。
しかし彼は有名人。そんなことを軽々しく口にしてはいけないことも分かっているはずなのに −。
「でもそんなこと言ったら誰だって誤解するでしょ? なに考えてるのよ」
「やだなあ、勿論すぐに説明したよ。欧米じゃ売春の行為だから止めた方がいいよってね。そしたら真っ赤になって電車を飛び降りて行った。でも後から俺に言われたって気づいて悔しくなったんだろ? 事実をねじまげてカキコミしたんろーな」
そこまで言うと龍は一呼吸置いて、不思議そうに首を傾げた。
「でもおかしいな…。それって、だいぶ前の話だぜ? 今では電車なんて乗らなくなったから、俺がまだ売れなかった頃の話じゃ……」
「リュウが売れなかった頃?」
龍にそんなことがあったとは −? 日本に来た当時から順風満帆な芸能生活を送ってきたはずなのに −!?