ピエモンテの風に抱かれて
そのまま地面にうずくまる樹里を気にする人は誰もいなかった。
「あーあ、行っちゃった。リュウ、カッコ良かったね〜! さっ、なに食べに行こっか」
龍の乗った車が見えなくなると、人々は一斉に楽屋口を後にした。
何事もなかったように。あんなにも心を掻き乱した激しい嵐が過ぎ去っていくかのように −。
ポツンと一人残されてしまう。するとさっきの警備員が、ホウキとちり取りを持ってやって来た。
「お嬢さん、もういいでしょう? このビンは片付けておきます。悪いけど、もう帰ってもらえますか?」
そう言いながらボソッと続ける。
「幼なじみだなんて、嘘ついたらいけませんよ。ストーカーと思われても仕方ありませんから」
− ストー…カ…? −
きっと龍本人の目にもそう映ったのだろう。自然消滅した昔の彼女が、何の前触れもなく突然目の前に現れたのだ。あの冷たい目が語っていたのは、もう姿を見せないでくれ、という無言の訴えに違いない。
ガシャガシャと乱暴に片付けられていくワインに後ろ髪を引かれる思いで、フラフラと道路に向かった。
そしてずっと右薬指にはめていた指輪に気づくと、涙が込み上げてきた。
− 思った通りよ。あの噂は本当だったんだ。リュウは変わってしまったの −
どんなに龍のことを忘れようとしても、この指輪だけは決して外すことはなかった。まるで身体の一部になっていた、龍との思い出が詰まった大事な指輪を…
ボロボロとこぼれ出る涙を堪えながら外した。
「もう諦めよう……」
そう、もう諦めるしかない。これ以上未練がましい姿を龍に見せるわけにはいかない。そんなやるせない想いと一緒に、指輪も捨ててしまおうと思い立っていた。
すると −。