涙の跡を辿りて
■ケセの章第3・夏~身体重ね、心重ね~
 二度目の口づけを与え合った後は、唇を交わさぬ夜はなかった。そして、疲れる迄抱き合い、夜が明けていく様を見ながら眠りに着いた。
 交わすのは口づけだけ。
 それ以上に進むのにはケセの方に恐怖があった。幼い頃のトラウマ。傷口は、些細な出来事にぱっくりと開く。
 ケセは、それに口づけだけで満足だった。
 そしてやがて初夏が来た。
 その日、ケセはフランセルの見送りに行った。フランセルの背筋には物差しでも入っているのではないかと思われる程、毅然としている。見据えるのはただ前方。
 望まぬ婚姻を強いられた悲劇のヒロインはいなかった。そんな目でフランセルを見る事は失礼だと思った。
 皆で見送る前に、ケセはフランセルからエメラルドの櫛を渡された。
「先生に差し上げるのではありませんわ。先生の特別の方に、差し上げるのです」
 そう言ってにっこり笑ったフランセルの、その表情を、ケセはきっと忘れないだろう。
 ほんの偶然だが、ヒトカの深緑の瞳とあの不可思議な髪色にエメラルドはきっと似合うと思う。
「有難うございます、フランセル嬢」
 そして、ケセは気付く。
 自分がヒトカに何一つ贈り物をしていない事に。
 服は共有だった。ケセは二十一歳という年齢の割に小柄だ。だからヒトカも少しだぶっとしているがケセの服が着られなくもない。
 僕とした事が。
 思えばケセは、童話の主人公達には沢山、素敵なプレゼントを考えさせたものだった。
 例えばと上げればきりがない程に。
 なのにヒトカに何も贈っていなかったとは大失態ではないか!?
 ケセは、しかし、贈るものが見つからずに困った。宝飾品も衣服も、そんなありきたりなものでは満足出来ないのが童話作家の悲しいところだ。
 何がある?
 花屋の前で一旦立ち止まる。
 花屋の主人はケセを嫌っているので、ケセを眼中に無いものとした。
 しかし、ケセが持っている金貨などはその目に映るのだから呆れた根性とでも言う他はない。
 駄目だ……と、ケセは頭を抱えながら再び歩き出した。花屋の主人がした舌打ちの音がケセの背中に爪を立てる
 一体、何があるんだ。僕に。ヒトカにあげられる何が。
 そんな事を考えていた矢先、ふと思いついた。
 シンシンリーに行こう!
 ケセは冬の終わり……ヒトカと出会ってからは一回もシンシンリーに足を運ばなかった。
 家と、クーセル村の村長宅と、郵便局を兼ねたパブにしか足を運んでいなかった……!
 きっと。
 シンシンリーはケセの事を呆れているだろう。恋に狂って随分ご無沙汰していた自分に。
 ヒトカも喜ぶかもしれない。
 足取りが、自然軽くなる。
 もう、さっき投げかかられた舌打ちなどは忘れてしまった。
 ケセは急ぐ。我が家へ。
 此処にはケセの居場所はない。
 ヒトカが待つ、我が家が今のケセの居場所だった。
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