NA-MI-DA【金髪文学少年の日常】
その日の夜、ナミダは自分の正面で夕飯の魚を懸命にほぐしてめちゃくちゃにしている父に尋ねた。


「なぁ、俺の名前ってなんでナミダなの」


若干アルコールが効いているらしい父は、少し赤くなった目を上げて、不思議そうに首を傾げた。


「なんだ、学校の宿題か?」


「んなわけあるか」


ナミダは小学生ではない。


むしろ、この親父を小学校に送り込んでやりたい。


きっと中身だけなら、なんの弊害もなく溶け込むことだろう。


「学校のやつに聞かれたんだよ」


「ナミダの名前の由来かぁ」


父は数秒唸って、うんうんとうなづいた。


「ナミダがあんまり悲しげに泣いていたからだよ」


「は……?」


どこか遠い目をした父は、プラスチックのコップの中に缶ビールの中身を注ぎながら言った。


「ナミダが生まれた時はそりゃ難産だった。お母さんは何十時間も陣痛に苦しんで、でもお前は元気に生まれてきてくれた。だけどな……」


自分が生まれた時の話をされるのははじめてだった。


だってそれは、イコール母の死の話だから。


「生まれたての赤ん坊だってのに、すごく悲しそうに泣くんだよ。赤ん坊の泣き声、聴いたことあるか?そりゃもう盛大に、生そのものみたいな、生きる力に溢れた声で泣くんだ。お前もそうだった。でもなんでだか、お前の泣き声には、生きることのつらさとか悲しみとかが溢れてるように聴こえたんだ。まるで……」


世に絶望して命を絶った文学者が、意図せずして再び生まれてきてしまったかのように。


その言葉は口には出さず、ナミダの父はそっと自分の胸に押しとどめた。


「おじいちゃんが言ったんだ。お前の泣き声を聴いて。名前はナミダにしようって。この子が悲しんで泣かないですむように、名前で涙を封じてしまおうって」


ナミダが名付けられて間も無く、ナミダの母親はこの世を去った。


ナミダの産声は、まるでそのことを予言していたかのようだった。


「……へぇ」


もっと軽いのりを予想していたナミダは、予期せぬ名前の由来に少し動揺した。


「まぁ、今では少しは泣き顔も見せなさいってぐらい無愛想くんになっちゃったけどねぇ」


そう言っておかしそうに笑う父の目は、ひどく優しかった。


自分の部屋に戻り、机についたナミダは勉強道具を取り出すでもなく、ただぼんやり座っていた。


ナミダは小さい頃よく泣いていた。


しかし、祖父の葬式を機にぴたりと泣かなくなった。


……自分の名前は、空っぽのナミダではなかったらしい。


祖父の葬式から、今まで生きてきた分の涙が溜め込んであるのだ。


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