ロング・ディスタンス
 栞は年度の変わり目に私立病院を退職し、太一と結婚するために彼が暮らす離島に渡った。
 職場を去る際、同僚の藤野が「あんたなら正規職員になれたのにもったいないな。だけど寿退社じゃ仕方ない」と言って、彼女の退職を惜しんでくれた。
島では新婚夫婦のために、小さな一戸建ての家を貸してくれた。たった二人の人間が住むにはもったいないほどの広さの物件だ。

 結婚してからも、太一たち夫婦と辻堂家の行き来は続いている。辻堂夫妻が二人を招くだけでなく、今度は二人の方も一家を新居に招いてご馳走している。
 辻堂美加子は、島に知り合いのいない栞の良き女友達兼姉貴分になってくれた。彼女は、太一から美菜が彼にしでかした「肉弾攻撃」について聞いていた。彼女自身が辻堂を本土にいる彼の元彼女から奪った手練手管の話をして、栞が島に来たのは正解だと言った。美加子はまた、あの夜太一が栞を探して何時間も集落を歩き回ったことを明かした。彼の脚のことを思うと栞は何とも言えない気持ちになった。

 太一の診療所に初めてあいさつをしにいった時は面白かった。島の小さな診療所には三十路で独身の女性看護師がいて、年齢は太一より少し上くらいだ。美加子の話では彼女も太一に秋波を送っていたらしい。彼の新妻として栞が診療所に姿を現した時は、看護師の値踏みするような視線が突き刺さるのを感じた。

 美加子の弁によると、あのまま太一が独り身でいたら、町長の一人娘で、家事手伝いの太ったオタクっぽい女とお見合いさせられる羽目になったかもしれないとのことだ。それぐらい、この島での太一は若いながらも一目置かれる存在なのだ。実際、診療所での仕事にも懸命に取り組んでいる。
< 273 / 283 >

この作品をシェア

pagetop