廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
【母さん、申し訳ありません。僕は逃げる。生きたい、どうしても生きたい。母さんや兄弟にも迷惑がかかることはすまないと思う。それでも僕は生きなければならないんだ】
悟は下関の安宿で、振るえる手を抑えながら懸命に手紙を書いた。
妻は、悟の少し後ろに膝を抱えて座り、窓の外の様子を伺っていた。
粉雪がチラチラと舞う。
海風がガタガタと窓ガラスを揺らす。
海は荒れていた。
『悟さん、船は出るやろうか?』
大阪訛りの妻は訊ねる。彼女は、ハァっとガラスに吐息をかけ
【命】
と書いた。
『【命】っていう字……屋根の下 一人 叩かれるって書くんやね。
悟さんのためにあるような字や』
妻の一言は、悟の今後の人生において忘れられない言葉となった。
悟は妻を巻き沿いにしたことに後悔していた。
三行半を叩きつけ、離縁してやるのも愛情だったかもしれない。
だが、彼女は頑なに付いていくと言って譲らなかった。
悟は彼女のためにも、絶対に逃げきらなければならなかったのだ。