ジャンクブック
咲いた咲いた
■咲いた咲いた

世界は汚い。違う、僕は汚い。

僕の体は植物に覆われていて、僕が触れたものには片端から植物が生えてくる。座っていた椅子に百合や薔薇のように美しい花が咲くこともあれば、歩いた道に雑草やコケ、海に生えているような粘着質な藻が生えてくることもある。
ただ、この植物は僕にしか見えない。幼少期、周囲の大人たちの不審な目に気づいてから、僕は誰にもこのことを明かしていない。

吐き気がするほど濃厚な、花の匂いにはもう慣れた。美味しそうなご飯の香りは嗅いだことがない。
毎日、花を踏みつぶし、毟り取ることにも慣れた。そうしないとパソコンのキーすら打てなくなるから。
花が皮膚から取れなくて行っていた自傷行為には飽きたし、人から変に思われない自然な行動も身に着けた。

ただ―――。

「わたしが嫌い?」

美しい彼女がそう言った。
僕が先ほど触れた頬に、小さな花がたくさん生えてきている。

「どうしたんだい?突然」
「だって、あなた、私に触れてくれないもの。潔癖症なのは知っていたけど、それでも恋人と夜も一緒に寝れないだなんて」

ただ、耐えられないのだ。美しい人が、僕のせいで汚れていくのが。

父も母も、その姿はもう植物に覆われて見えなくなっていた。幼少期は家の中を動き回る、家族の声を真似るその物体に怯えていた。仲の良い友達とは、一人残らず疎遠になった。目の前で、体が覆われていく様を見るのは耐えられなかった。

「僕は汚いから。君を汚したくない」

そう言えば、美しいその人は哀れなモノを見る目で僕を見た。彼女の目は、私こそが彼を悲しい過去から救ってやらねばならない、という使命感に満ちていた。
彼女の藻の生えた手が僕の頬を撫ぜる。ねちょりとした湿った感触。離れていく頬と手の間で、透明な糸が引かれていた。

「あなたは、汚くなんかないよ。保障する」

彼女の顔が近づいてくる。気づけば、唇に柔らかいものが触れていた。
優しく、逃げられないように後頭部を押さえつけられる。熱い舌が唇を割って、歯列をなぞってきた。とろけるようにやわらかい、キス。

「ね?」唇を離した彼女は。「私はあなたをこわがらない。あなたは美しいもの」

微笑む彼女。微笑んでいるその唇に、緑色の芽が生えてくる。喋っている口の中から葉が覗いている。花弁が、口端から溢れてくる。

「ああ!そうだね!」甘ったるくて、嘔吐を催す花の匂い。
「―――――気持ち悪い」

僕は笑った。笑った。
花に塗れた室内。困ったように彼女も笑った。口の中から緑の草が飛び散った。笑った。



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