山神様にお願い


 こんな恥かしいことは絶対に人には言えない。彼曰く、「シカのスーツ姿なんて萌えるものずっと見せられてて、我慢出来ると思う?」だそうな。新しいスーツを汚さないで下さい~!ってそれだけしかいえなかった私は無力である。

 それも店長は、汚さないけど破いていい?ここ、ちょっと邪魔で、などと言ったのだから!(勿論お断り申し上げた)


 私が山神を辞める最後の日、何と龍さん達が花束を用意してくれていた。

 お疲れ様、ってツルさんが代表で渡してくれて、それだけで私は化粧を崩してしまった。

 龍さんが、俺のおもちゃが消えてしまう~などと言い、ウマ君にこれこれトラさんの前ですよ、と言われていた。

 そんなことでさえも、一々私を感動させた。

 ああ、私、この店に雇って貰えて幸せだったなあ!って。本気でそう思ってはマスカラを拳で削り取っていた。


 冬から春は、いつでもちょっとばかり忙しいけど、たまにふと空を見上げたくなる、そんな時間があるように思う。

 私はいつでも白い息を吐きながら、4年間住んだこの町の空を見上げて月を探していた。

 一人暮らしも初めてで、アルバイトをしたのも初めてだった。初めて彼氏も出来たし、凄い高校生とびっくりするような会話もたくさんした。

 困ったり悩んだりした時に仰ぎ見た空には、いつでもお月さまが。

 ケータイを握り締めて、実家の母親に電話するのを我慢した時には、月を睨んでいたんだった。

 世間に出るってこういう事なんだって経験をいっぱいした。

 これからは私は社会人になって、名実ともに大人の仲間入りだ。

 まだ冷たい風にはかすかに土の匂い。

 白い木蓮が咲く頃には――――――――――卒業式になる。



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