四竜帝の大陸【赤の大陸編】
「……ぶはははっ! 旦那が人型じゃなくて良かったなぁ~。もし人型だったら……“おいし”って……ぶははははっ!」
「ダルフェ、笑いすぎよ? まったく……」

 息子の質問へ答えてやった我に礼は無く、父親はにやけた笑みを浮かべてそう言った。
 その横で、カイユが右手で額を押さえてため息をつくと。
 青の大陸のモノより香りの強い紅茶を飲み終えたりこが、口を開いた。

「……ねぇ、カイユ。あのっ……ジリ君はどうして人型になったの? 私、びっくりしちゃって……」

 りこがその疑問を口にしたのは。
 幼生が人型をとれるようになるのは数十年先だと、カイユに教えられていたからだろう。
 りこは竜族の生態に詳しいとは言えぬが、疑問を持って当然だ。

「トリィ様。そ、それは……この子は、ジリギエはっ……」

 カイユの空色の瞳が、揺れた。
 息子の身に起きた事を知っているのだと、我は知り。
 常日頃、真っ直ぐに目を見て、はっきりと物を言うカイユのその姿に。
 りこの表情が、不安げなものへと変化した。

「カイユ? まさかっ……ジリ君、何か身体に!?」

 我を抱くりこの腕に、力が増す。
 触れ合う場所から、りこの動揺が我へと伝わってくる。
 我がダルフェへと視線を向けると、ダルフェは息子の頭部に顎を乗せつつ……笑んだ。
 なるほど。
 息子の寿命の欠損に対し、お前はもう“決めた”のか。
 いくら嘆いても呪ってもそれはもう、お前には返られない、変えられない。
 ならば、お前は進むしかない。

「いえ……あの、この子は<色持ち>であるダルフェの子ですし、母親である私の父は先祖がえりの特殊個体ですから、他の幼生とは成長速度が違うのかもしれません。過去に例が無いので……ほら、食欲もあるし顔色も良く元気でしょう? 大丈夫、トリィ様が心配なさるような事はありません」

 息子の頬に手を伸ばし、撫でながら言うカイユの顔に浮かんだ柔らかな笑みを見て。

「そ……そうなの? なら、良かった」

 安心したのか、りこの腕から力が抜けた。
 我は、カイユの言葉からりこには真実を告げる気が無いのだと理解し。
 父親の膝に座り、上機嫌で焼き菓子を口に次々と入れ食らっていく幼生自身にも、“主”であるりこにそれについて言う気が無いのだと感じた。

「ふっふふ~ん♪ おいしね、このくっき、ジリはおいしなのねぇ~! たべられないおっさんは、かわいそね♪」

 ……ふん、我は“かわいそ”などではないのだ。
 我が口にしたいのは“おいし”な妻であるりこだけなのだから、そのような菓子など食いたくもないのだ。

「おいしね、くっきおいしね! ふんふん、ふっふふ~ん♪ たっくさんたべて、ジリ、おっきなるの~」

 ……我が思うに、この幼生は。
 この事態を“幸運”としているような印象を受けるのだ。
 幼いために寿命の欠損を理解していない、とは考え難い。
 卵胎生の竜族は人間と違って、ある程度まで心身が育って産まれてくる。
 その精神年齢には個体差がある。
 多くは肉体と精神がつりあいのとれた状態で産まれるが……だが、この個体は……。

「トリィ様。ジリギエの人型の容姿は、母にとても似ているんです。このジリギエを父に会わせたらどんな反応をするか楽しみであり……少し怖くもあります。父にとって、母は本当に特別な存在ですから……」
「カイユ……」

 ああ、さすがにカイユは巧いな。
 りこの思考を、巧く誘導したのだ。

「カイユ、カイユ! セレスティスさんは、きっと喜びます! 早く会わせてあげて下さい。伝鏡じゃなく、いつか直接会わせてあげたいですよね!? あ! ねぇ、ハクちゃん! 黒の大陸にお引越しして落ち着いたら、カイユ達は青の大陸に里帰りとかできるかしら?」

 カイユの思惑通り、りこの興味は“未来”へと移り。
 幼生の早すぎる変態への疑問、不安が、我へ問いへと変化する。
 その変化を菓子を食う口を止めぬまま、父親譲りの色の眼が見つめ……満足げに、細められた。
 ……主であるりこより、これの中身が精神的に大人であったとしたら、少々りこが可哀相な気もするが……。

「ん? ……ああ、四竜帝の大陸間飛行許可がおりれば里帰りもできるのだ。りこが望むなら、カイユの父親を黒の城に招いて皆で共に暮らしても良いのだぞ? ランズゲルグにはカイユの父親を手放し、りこのモノにするよう我が話をつけてやってもよい」
「ハクちゃん、モノとか言わないで! ……でも、ありがとう。カイユ達の大陸間飛行の許可をとる時、ハクからも四竜帝の皆さんにお願いしてくれるなら安心だもの。ねぇ、カイユ。会いたい時に行き来できるようになるといいわね! セレスティスさんが遊びに来てくれたら……楽しみね!」
「ええ、そうですね……」

 りこに答えながら、カイユの視線が我へと流れ……伏せられた。
 カイユは、知っているのだ。
 父親は生涯、青の大陸から飛び立つ事が無いことを。
 つがいの眠るあの地から、離れる事など有り得ないことを……。

「……ねぇハニー。ごめん、ちょっと頼んで良いかな?」

 菓子の油脂が付いた息子の手をとり、丁寧に拭いてやりながら。
 ダルフェが、カイユへと声をかけた。

「なにかしら? ダルフェ」
「俺、旦那を風呂に入れるなんて有り得ない恐ろし~い経験をしちゃって、身も心も疲れちまったんだよねぇ。だから、甘いもんが大量に食いたい気分なんだけど、何かあるかな? ここに用意してくれてあった菓子は、ジリが全部食っちまったんだ」

 テーブルの上の大皿に置かれていた菓子は、その全てが消えていた。
 りこが口にしたのはぷりんだけであって、菓子は幼生の腹の中だ。

「お菓子? 奥の簡易キッチンの棚に、赤の陛下が用意してくださったチョコレートや焼き菓子がまだたくさんあるから、持ってくるわね……トリィ様には新しいお茶をを淹れましょう」
「え、あ、カイユ。私も一緒に行ってお手伝いを……」

 席を立ったカイユを追うように、りこが腰を浮かせると。

「駄目」

 ダルフェが、それを止めた。

「え? ダルフェ?」
「姫さんはここにいなさいな。で、俺とお話しをするの。ほら、ジリは母さまと菓子を選んできな!お前もまだ食うんだろう?」

 膝の上の幼生の脇の下に手を入れ、その身体を床へと立たせ。
 レカサを着た息子の背中を、ダルフェはぽんぽんと軽く押した。

「んんー? ととさま? ん……あい! かかさま、おかし、ジリえらぶ!」
「そう? ありがとうジリギエ。じゃあ、一緒に行きましょうね」
「あい! てて、ぎゅっぎゅね!」

 伸ばされた母親の手と、己の小さな手を繋ぎ。
 幼生は、何度も己が主たるりこを振り返りながら母親と室内の奥へと……カイユが振り向く事はなかった。
 それは、つがいであり子の父親であるダルフェに全てを任せたという証だろう。
 ダルフェは話しがあると、りこを引きとめた。
 それが何についのて話しか、カイユは察したのだろう……。
 竜騎士として生まれた幼生が人型と成ったからには、しなくてはいけないことがある。
 それは“教育”だ。
 適切な“教育”を受けさせなければ、竜騎士は竜騎士にはなれない。
 放置すれば、己の認めた飼い主あるじ以外には平気で牙を剥く……温和な竜族の中で生きるには凶暴性の強い性質を抑え、隠す術を身に着ける必要がある。
 それができぬ個体は、仲間である竜騎士や竜帝の手で処分されてしまうのだから。

< 149 / 177 >

この作品をシェア

pagetop