恋愛音痴と草食
私の一番弟子
『加賀見ならいーんじゃない?』
自宅の台所でひとり簡単なおつまみを作り発泡酒をチビリチビリやりながらファミレスでさっき先輩が言った言葉を思い返していた。
…うーん、ひろちゃんかぁ。
加賀見君をひろちゃんと呼ぶのはたぶん社内では私くらいだ。
加賀見君は入った当初からある意味溶け込まない人だった。どちらかと言えばノリのいい人間が多い我が職場で独特な静けさを保ち、どこか目立たない。
感情表現が乏しく、言葉数も少ない。容姿は取り立てて良くもなく悪くも無くいたって標準的(中の上くらいかもしんない)なのに、よく言えばミステリアス悪く言えば陰気な雰囲気をしている。
正直私も彼がどんなこと考えているのか分からないことが多い。
でも丁寧で正確なその仕事ぶりは単純に好ましかった。
慣れないうちはそれなりに時間がかかったが彼は少しずつ自分のやり方を見つけ、速さもそこに少しずつ加わった。
私は加賀見君に仕事をどんどん割り振り、ことあるごとに教えこんだ。見込みどおり彼は必ず吸収していった。
『佐倉。アイツ使えるみたいだな』
ある日休憩室で一緒だった上司が私に話しかけてきた。上司は私の行動をよく理解している。
私はニッと笑って答える。
『確実に仕事こなしてくれます。いい子ですよ』
『へぇ。試してみるか…』
それから数日経たないうちに上司は加賀見君を使いはじめ、1ヶ月後には私は彼のすぐ後ろにはりつかなくてよくなった。
…あれから数年経ったが彼のその仕事ぶりは変わらない。早くて丁寧。
加賀見君がフォローに入ってくれるととにかく安心感が違う。みんな加賀見君には一度ならず二度も三度もお世話になる。どこか近寄りがたいけど加賀見君はみんなから認められている。
そんな存在。
…教育係としてはちょっとだけ誇らしいかな。モチロンひろちゃんの努力のたまものだけど。
『俺の師匠は佐倉さんですから』
3年前会社の慰安会で隣に座った加賀見君は珍しく少し酔っていた。
『そーなの?』
自負はしていたが、本人がそう思ってるとは思わなくてびっくりしたのをおぼえている。
『じゃ、キミがミスしたら私のせいだね。ちゃんとやるのよ?』
頬杖しながら私はにこにこ笑ってハッパかけた。
『分かってますよ』
苦笑しながら加賀見君が私にビールを注いだ。
『お、悪いね。一番弟子』
と私は注がれるビールに目をやった。
その日から社内で佐倉結子の『一番弟子』と彼にあだ名がついた。
今でも彼はそのあだ名を嫌がる風なく受け入れている。
目をかけたかわいい後輩、それが加賀見博之だった。
――私は彼はキライじゃない。
…でもさ、彼は私より6つ下だよ?
それはちょっと無いよね。
すっかりぬるくなった発泡酒はどこか不味かった。