スナック富士子【第四話】


「お兄さんは知らないんでしょ?弟とも、って。」
「うん、もちろん知らない。・・・筈」
「言うつもりも、ない?」
「うーん。ヤバイな、と思ってはいるけど」
直紀さんは一樹のほうを向いていた上半身を座りなおすように前に向けてカウンターの上のウォッカトニックを揺らした。氷が優しく音を立てる。

僕はグラスを拭きながら、次に直紀さんが何を言うのか耳をそばだてていた。直紀さんは静かにグラスを傾けてウォッカトニックを少し飲んだ。スライスのライムが氷に回されてグラスの中でクルリと回転した。一樹は直紀さんの横顔を伺うように見つめている。

僕たち二人の目線を感じたのか、直紀さんはウォッカトニックのグラスを見つめて伏せていた瞳を上げ、僕と一樹を見て笑った。
「なーにー?」
直紀さんは語尾を少しさげた疑問形で僕たちをいなす。


「なにって、僕らが聞きたいよ。直紀さんがなんていうのか待ってるのに。」
一樹が少し甘えた声で言った。
「んん?何て言って欲しい訳?」
直紀さんはグラスに目を落としたまま微笑んでいた。
「何て・・・って。別に何ていって欲しいとかじゃなくて、直紀さんなら、どうするのかなって思って」
「僕は・・・そんなことしないもん。」
「・・・・しないだろうけどさ?」
「しないよ、そんな馬鹿げたこと。」

直紀さんは微笑んだままウォッカトニックを飲んで、グラスを置いた。
「お兄さんとも別れる気はないし、弟とも止める気はないんでしょ?」
直紀さんは首だけを一樹の方に向けて言った。直紀さんの両の手はグラスを包むように持ってグラスを絶えず揺らしていた。

「・・・・」
一樹は答えない。僕は拭いていたグラスを調理台の盆の上に置いた。コトンと乾いた音がした。
「だから、いいんじゃない?」
直紀さんは言う。
「何が?」
一樹が問う。
「そんな時が来たら、言わなきゃならなくなるんだろうし、言わずにはいられなくなるんだろうし、さ。」
直紀さんはグラスをあおってウォッカトニックを飲んだ。

< 4 / 18 >

この作品をシェア

pagetop