暗黒の頂の向こうへ
第九章 それぞれの信念
黒ずくめの謎の男が、朝靄の中、長崎県の高台に静かに降り立った。 その男は新たな局面を思考する。
長崎の原爆投下阻止、歴史変更に失敗した事実に根本的な計画の立て直しを目論む。
過去の人間が歴史の変更を企むより、その時代の人間が歴史に挑み楔を打ち込めば、新たな時代を創れるのではないか。
謎の男はゆっくりと昇る太陽を睨み、万感の思いで決意する。
未来を手に入れる為には、手段を選んでいる暇などない!
くたびれた茶色の作業服に変装し、朝の闇市に群がる雑踏に紛れ、消えて行った。 ある目的の為に。

青年が人を掻き分け、必死に走る。
その後を数人の憲兵隊が追いかける。
「どけ、どけ、どけー……」
 青年は逃げる事が手慣れたように、闇市の人混みの中をすり抜ける。
 追う憲兵隊も、今度は逃がしはしないと拳銃を掲げ、空に向かって発砲するが青年は動じない。
 自分は捕まらないと自信に満ちた表情で、逃げる事を楽しむように、流れるように走り去る。
 すると作業服姿の謎の男が、両手を広げ青年の走る先に立ちはだかった。 青年は笑みを浮かべながら、その横を意図も簡単に突破する! その瞬間。 何故かすり抜けたはずの男が、再び目の前に現れた。
 「え……何!?」 足が滑り地面に手を付くが、類い希な運動神経で立て直す。 しかし、連続的に蛇行する障害物のように、その男は進路を塞いだ!
 訳が分からず、ムキになって本能的に避けるが、謎の男は何度も何度も、青年を試すように邪魔をする。 拳銃を持つ憲兵隊に追われても動じないふてぶてしさと、人混みを避ける俊敏さに、光明を感じ取った。
しつこく青年を試した後、ようやく男は動きを止め走り去る青年の姿を見送った。 そして青年を自分の計画に利用する事に、期待と喜びを憶え、不気味に笑い人混みの中へと消えて行った。
 青年は憲兵隊と謎の男を振りきり、自分の帰りを待つ仲間の元へ急いだ。 
 「あの男は、いったい何者なんだ……?」 今までに経験した事のない不思議な出来事に、答えを出せないでいた。
 その頃いつものように、あどけない子供たちがお腹をすかせて、傾いたバラック小屋の前で待っている。
視線の向こうに、息を切らして一生懸命に走る青年が見える。
その姿を見た子供たちは、喜びの笑顔を見せた。
今日も無事に帰ってきてくれた。 これで今日を生きられる。   子供たちは、身よりのない孤児であった。
その中に、胸に手を当てて帰りを待つ少女がいる。 子供たちの為に命がけで食料を盗み、みんなの元へ届ける青年の妹であった。
 真っ先に妹は兄の元に歩み寄り、笑顔を見せて抱きついた。
「おかえり……」
兄の事が身を切られる程心配だが、みんなのヒーローである兄の事が、誇らしかった。
 周りの子供たちも次々に歩み寄り、重なるように抱きついた。
青年は子供たちに、リュックサックいっぱいのパンや、野菜を手渡した。 「俺が、この子供達を守る。 命に代えても……」
その光景をまじまじと熱い視線を送り、謎の男が見据えていた。
この青年を洗脳すれば、時代を動かせるかもしれない。
危険と戦う強い意志と、子供たちを守る責任感が、謎の男の心を動かした。 そして思い出せない記憶を蘇らせる。 存在を消した息子は、どんな顔をしていたのだろう? どんな人生を送ったのだろう? 殺す命令を出した自分は、苦しんだのだろうか……?
謎の男は、闇夜に静かに消えて行った。
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