伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.15 (ディー視点)
お伽噺は時折現実に起こった事を誇張して書かれたものなのではないかと実感する事がある。
イリーネにしてもエルにしても女性は幼い頃必ず、絵本の中でいつもハッピーエンドを迎えるプリンセスたちに憧れるものらしい。
けれどまさか物語が一部現実になるとは思ってもみないだろう。
今私たちの目の前に広がる光景はまさに、夢にも思わなかった現実なのだと思う。
幼い憧れを巧みに利用した、実に優しくて温かな…それでいて少々不確実な策を講じたのは、やはり親心故なのだろう。
他の誰にも知られてはならない事だったのだから、一か八かの賭けであっても自分の娘であるならいつか必ず気付いてくれるはずだ、と信じる思いがひたすらに感じてとれる。
私の頼みを快く承諾してくれたアルトゥールが、アウラー男爵たちに知られぬようこっそり見つけ出して持ち帰ってきたのはさほど大きくはない鉄製の箱だった。
ただの箱にしては重すぎたが、中身を見れば容易く納得できた。
何百枚あるか分からないほど大量の金貨が詰められていたのだ。
最初は戸惑って鍵を開けることを躊躇っていたエルも、父親からの贈り物に胸いっぱいのようで、何度頬を拭っても止まらぬほどたくさんの涙を流していた。
全てエルにとって正当に引き継がれるべき遺産だ。
彼女が落ち着いた頃、余りにも金貨の枚数が多い事と、既にあちこちに錆びが出来てしまった箱を使用し続けるのは困難なため、私たちは新たに用意した箱に金貨を移し変えることにした。
同時に金貨を数えることにもなったが、その枚数はゆうに五百を超えていた。
正直なところ、これが最初に見つからなくて良かったと…不謹慎ながら思ってしまう。
もしもこれが見つかっていたなら、私とエルの婚約は有り得なかったかもしれない。
彼女がアウラー男爵に狙われて絶望するようなこともなく、心の傷はいまより小さなものであったかもしれない。
全ては過ぎ去った事であり「たられば」話に過ぎないが、それでもこのタイミングで見つかった事に大きな意味があるように思えてならなかった。
都合よく解釈すれば、天も私に味方してくれたのだろうと思える。
金貨が男爵たちの手に落ちなかったことも幸いだ。
言葉にすればまたエルに誤解を与えかねないから言うつもりはないが、彼女と結ばれることを運や天にも祝福されているような気がして心が浮揚する。
しかし、そんな束の間浮ついた気分は突然現実に引き戻される。
全ての金貨を移し終える少し前に、私たちの手は止まった。
「これは?」
箱の底に貼り付けられていた一枚の白い封筒。
表には「愛するエルフリーデへ」と書かれていて、それはどう見ても彼女の父親が残したものに違いなかった。
細い指先でエルがそれを持ち上げ、中身を取り出してみる。
現れたのは一枚の便箋と、一人の女性が赤ん坊を抱いている写真。
不思議そうにエルが写真を裏返すと、そこに書かれていたのは
「ヨアヒム・バルツァー」
という、誰かの名前だった。
その姓には心当たりがある。
けれどエルには皆目見当もつかないらしく、小さく首を傾げている。
「ヨアヒムって…一体誰の事…?」
「知り合いではないのか?」
「ええ、聞いたことがありません。それにこの女性も見たことはないし…」
着ているものからして貴族でないことは確かだ。
整った顔立ちをしているが、あまり幸せそうに見えないのはなぜだろう。
生まれたばかりの赤ん坊を抱く母親の表情としてはいまいちだ。
どこか仄暗い影を背負っているようにも見える。
ただ、僅かに上げられた口角は彼女の安堵を表わしてもいた。
引っかかるのは「バルツァー」の姓。
それはどうやらアルトゥールも同じらしい。
書かれた文字を見た瞬間、眉間にしわを寄せていた。
勘のいいエルもそれに気付いてしまう。
「お二人は心当たりがおありなのですか?」
こんな時はどう答えればいいのか。
逡巡したところで彼女の瞳に嘘は吐けない。
どうしたものかと視線で問いかけてくるアルに頷いて、私は口を開くことにした。
「バルツァーという姓に心当たりがある。だが、彼とそのヨアヒムがどうつながるかが分からない」
「一体どなたなんです?」
「侯爵家の一つだよ。リーンハルト・バルツァー、それが現侯爵の名前だ」
「じゃあヨアヒム・バルツァーはその方のご子息ですか?」
「いや、彼に子供はいないはずだよ。奥方は子供が出来ない体質だったらしいし、彼が他に女性を囲っている様子もない。ただ、彼もまた黒い噂の絶えない人だけどね」
嫌悪感を露わにアルが言う。
そう、バルツァー侯爵もまた限りなく黒に近い人物だ。
聞いている方が気分を悪くしそうな噂ばかりが囁かれている。
そんな人物の名前が挙がることに胸騒ぎがする。
「まだ侯爵と関係あると決まったわけではないが、このヨアヒムを調べてみるか。何故アウシュタイナー伯がこの写真を持っているのかも気になる」
「もしかするとこれを見つけたせいで伯爵が狙われたのかもしれないしね、このヨアヒムが本当にバルツァー侯爵とつながりのある赤ん坊なのか、確実な情報を手に入れないと。そもそもこの子がヨアヒムかどうかも不確かだからね」
「そうだな。この写真が鍵ならば必ず私たちを真実に導いてくれるはずだ」
アウシュタイナー伯がエルのために残したたった一枚のモノクロ写真。
何故だかそれが酷く大きな意味を持っているような気がしてならない。
名前から考えて赤ん坊がヨアヒムである可能性は高い。
さらに彼の母親もまた共に写っている女性だろう。
しかし、問題はそこから先だ。
仮に赤ん坊がバルツァー侯爵の子供だとして、それが何を意味するのか。
この写真をアウシュタイナー伯爵が持っていたのは何故なのか。
嫌な胸騒ぎは一層酷くなる。
思わずアルに視線を向けると、彼もまた不愉快そうに顔を歪めていた。
「どうも腑に落ちないな。アウラー男爵にバルツァー侯爵…これが偶然?ディー、君はどう思ってる?」
「決まってるだろう。偶然だと思えるか?」
「それなら次の一手は決定だ、僕は侯爵を調べる。身辺にそこに映っている彼女の存在が確認できれば真実も突き止めやすくなる」
「分かった。私は引き続き伯爵と接触した人物から調査を進める。同時に、写真の子供の出生証明があるか調べてみよう。そこから母親が判明するかもしれない。生まれた赤ん坊が今どうしているかも気になるな。いくつか調査団を作る事にしよう。エル、いいね?」
「はい。ありがとうございます」
身体を二つに折る勢いで彼女は深々と頭を下げた。
ああ、そんなことをする必要はないのに。
「顔を上げてくれ、エル。私たちは当然のことをしているだけだ」
「そうだよ。無実の罪なんて存在しちゃいけないし、それによって失われる命があるなんて絶対許されちゃいけない事なんだ。この通り僕の親友は完全に伯爵の無実を信じているわけだし、あれだけの金貨が見つかったんだ、伯爵が無理に膨大な借金を作る理由がなくなっただろう?」
アルは冗談めかして言うが、彼は重くなりかけた空気を和ませようとしているのだろう。
私たちにとって侯爵たちの黒い噂など聞き飽きて慣れきったものだが、それを女性に聞かせるには気が引ける。
彼らが何人もの女性を慰み者にしているなんて噂、耳をふさぎたくなることだろう。
だから敢えて私もアルも噂の詳細についてこの場で触れることはしたくなかった。
それにアルが言ったことも一理ある。
大量の金貨を残すことのできる伯爵が、借金をする理由がないのだ。
あれだけの財産を作れるのなら自らの収入で十分生活できたはずだし、例え何らかの理由で大金が必要になっても、命と引き換えにすることはないだろう。
仮に「娘のための蓄えには決して手をつけたくない」と考えたとしても。
伯爵ほどの人物ならば全ては命あってこそだと解っているはずだから。
「さてと、話がまとまったところで僕は失礼させてもらうよ。イリーネと散歩に行く約束があるんでね。君の妹を連れだすけどいいかな?」
「好きにしてくれ。イリーネは私よりアルに懐いているんだ、ダメだと言ったところでどうやっても外へ出だすだろう。あの子の事は任せた」
言ったそばからイリーネがこっそり脱走する様子が目に浮かぶ。
一人で外出されるよりアルが一緒にいてくれるなら、その方が遥かに安心出来るというものだ。
私の言葉を受け取ったアルは爽やかな微笑みを残して部屋を出ていった。
「ふふ、アルトゥール様とイリーネ様は本当に仲がよろしいんですね」
「実の兄が少々嫉妬するくらいにはな」
そんな言葉も素直に出てくる。
偽らなくていい相手というのは、何とありがたい存在だろう。
恐らく私の気持ちなどアルには筒抜けだろうが、言葉にするとしないとではこちらの心持が違う。
窓から外を眺めれば、ゆっくりと車いすをアルに押してもらいながら、楽しげに笑うイリーネが見えた。
「イリーネがああしていられるのは、本当にアルのおかげなんだ。私には言えない事も彼には話せるらしい。イリーネは私に少し遠慮しているんだ。好き勝手言っているように見えて迷惑をかけたくないからと甘えることがない」
「ディー様の事を思っているからこそ、ですよ。イリーネ様はとてもお優しいもの。私の事までいつも心配してくださっています」
「大好きなエルお姉様、だからな」
「まあ。大好きなディー兄様、ともイリーネ様のお顔に書かれていましたよ?」
「だといいんだが。誰よりも頼りになる妹だよ。そんなあの子がエルの幸せを願ってる」
「あなたの幸せも願っていらっしゃるわ」
「つまり私たちの幸せがみんなの幸せということか」
「素敵な事ですね」
ぽつりと呟かれたその言葉が、小さな波紋を作って胸の中に広がっていく。
そうだ、願いを叶えることは「素敵なこと」なのだ。
不意に彼女の言葉で実感する。
そして
「幸せに、なりましょうね」
視線を重ねたままもたらされた温かな囁きは、私の凝り固まった想いを溶かしてふわりと包み込む。
幸せに。
互いを想いあうことがこんなにも心を満たしてくれるのだと、私はこの時初めて「知った」のかもしれなかった。
続く
お伽噺は時折現実に起こった事を誇張して書かれたものなのではないかと実感する事がある。
イリーネにしてもエルにしても女性は幼い頃必ず、絵本の中でいつもハッピーエンドを迎えるプリンセスたちに憧れるものらしい。
けれどまさか物語が一部現実になるとは思ってもみないだろう。
今私たちの目の前に広がる光景はまさに、夢にも思わなかった現実なのだと思う。
幼い憧れを巧みに利用した、実に優しくて温かな…それでいて少々不確実な策を講じたのは、やはり親心故なのだろう。
他の誰にも知られてはならない事だったのだから、一か八かの賭けであっても自分の娘であるならいつか必ず気付いてくれるはずだ、と信じる思いがひたすらに感じてとれる。
私の頼みを快く承諾してくれたアルトゥールが、アウラー男爵たちに知られぬようこっそり見つけ出して持ち帰ってきたのはさほど大きくはない鉄製の箱だった。
ただの箱にしては重すぎたが、中身を見れば容易く納得できた。
何百枚あるか分からないほど大量の金貨が詰められていたのだ。
最初は戸惑って鍵を開けることを躊躇っていたエルも、父親からの贈り物に胸いっぱいのようで、何度頬を拭っても止まらぬほどたくさんの涙を流していた。
全てエルにとって正当に引き継がれるべき遺産だ。
彼女が落ち着いた頃、余りにも金貨の枚数が多い事と、既にあちこちに錆びが出来てしまった箱を使用し続けるのは困難なため、私たちは新たに用意した箱に金貨を移し変えることにした。
同時に金貨を数えることにもなったが、その枚数はゆうに五百を超えていた。
正直なところ、これが最初に見つからなくて良かったと…不謹慎ながら思ってしまう。
もしもこれが見つかっていたなら、私とエルの婚約は有り得なかったかもしれない。
彼女がアウラー男爵に狙われて絶望するようなこともなく、心の傷はいまより小さなものであったかもしれない。
全ては過ぎ去った事であり「たられば」話に過ぎないが、それでもこのタイミングで見つかった事に大きな意味があるように思えてならなかった。
都合よく解釈すれば、天も私に味方してくれたのだろうと思える。
金貨が男爵たちの手に落ちなかったことも幸いだ。
言葉にすればまたエルに誤解を与えかねないから言うつもりはないが、彼女と結ばれることを運や天にも祝福されているような気がして心が浮揚する。
しかし、そんな束の間浮ついた気分は突然現実に引き戻される。
全ての金貨を移し終える少し前に、私たちの手は止まった。
「これは?」
箱の底に貼り付けられていた一枚の白い封筒。
表には「愛するエルフリーデへ」と書かれていて、それはどう見ても彼女の父親が残したものに違いなかった。
細い指先でエルがそれを持ち上げ、中身を取り出してみる。
現れたのは一枚の便箋と、一人の女性が赤ん坊を抱いている写真。
不思議そうにエルが写真を裏返すと、そこに書かれていたのは
「ヨアヒム・バルツァー」
という、誰かの名前だった。
その姓には心当たりがある。
けれどエルには皆目見当もつかないらしく、小さく首を傾げている。
「ヨアヒムって…一体誰の事…?」
「知り合いではないのか?」
「ええ、聞いたことがありません。それにこの女性も見たことはないし…」
着ているものからして貴族でないことは確かだ。
整った顔立ちをしているが、あまり幸せそうに見えないのはなぜだろう。
生まれたばかりの赤ん坊を抱く母親の表情としてはいまいちだ。
どこか仄暗い影を背負っているようにも見える。
ただ、僅かに上げられた口角は彼女の安堵を表わしてもいた。
引っかかるのは「バルツァー」の姓。
それはどうやらアルトゥールも同じらしい。
書かれた文字を見た瞬間、眉間にしわを寄せていた。
勘のいいエルもそれに気付いてしまう。
「お二人は心当たりがおありなのですか?」
こんな時はどう答えればいいのか。
逡巡したところで彼女の瞳に嘘は吐けない。
どうしたものかと視線で問いかけてくるアルに頷いて、私は口を開くことにした。
「バルツァーという姓に心当たりがある。だが、彼とそのヨアヒムがどうつながるかが分からない」
「一体どなたなんです?」
「侯爵家の一つだよ。リーンハルト・バルツァー、それが現侯爵の名前だ」
「じゃあヨアヒム・バルツァーはその方のご子息ですか?」
「いや、彼に子供はいないはずだよ。奥方は子供が出来ない体質だったらしいし、彼が他に女性を囲っている様子もない。ただ、彼もまた黒い噂の絶えない人だけどね」
嫌悪感を露わにアルが言う。
そう、バルツァー侯爵もまた限りなく黒に近い人物だ。
聞いている方が気分を悪くしそうな噂ばかりが囁かれている。
そんな人物の名前が挙がることに胸騒ぎがする。
「まだ侯爵と関係あると決まったわけではないが、このヨアヒムを調べてみるか。何故アウシュタイナー伯がこの写真を持っているのかも気になる」
「もしかするとこれを見つけたせいで伯爵が狙われたのかもしれないしね、このヨアヒムが本当にバルツァー侯爵とつながりのある赤ん坊なのか、確実な情報を手に入れないと。そもそもこの子がヨアヒムかどうかも不確かだからね」
「そうだな。この写真が鍵ならば必ず私たちを真実に導いてくれるはずだ」
アウシュタイナー伯がエルのために残したたった一枚のモノクロ写真。
何故だかそれが酷く大きな意味を持っているような気がしてならない。
名前から考えて赤ん坊がヨアヒムである可能性は高い。
さらに彼の母親もまた共に写っている女性だろう。
しかし、問題はそこから先だ。
仮に赤ん坊がバルツァー侯爵の子供だとして、それが何を意味するのか。
この写真をアウシュタイナー伯爵が持っていたのは何故なのか。
嫌な胸騒ぎは一層酷くなる。
思わずアルに視線を向けると、彼もまた不愉快そうに顔を歪めていた。
「どうも腑に落ちないな。アウラー男爵にバルツァー侯爵…これが偶然?ディー、君はどう思ってる?」
「決まってるだろう。偶然だと思えるか?」
「それなら次の一手は決定だ、僕は侯爵を調べる。身辺にそこに映っている彼女の存在が確認できれば真実も突き止めやすくなる」
「分かった。私は引き続き伯爵と接触した人物から調査を進める。同時に、写真の子供の出生証明があるか調べてみよう。そこから母親が判明するかもしれない。生まれた赤ん坊が今どうしているかも気になるな。いくつか調査団を作る事にしよう。エル、いいね?」
「はい。ありがとうございます」
身体を二つに折る勢いで彼女は深々と頭を下げた。
ああ、そんなことをする必要はないのに。
「顔を上げてくれ、エル。私たちは当然のことをしているだけだ」
「そうだよ。無実の罪なんて存在しちゃいけないし、それによって失われる命があるなんて絶対許されちゃいけない事なんだ。この通り僕の親友は完全に伯爵の無実を信じているわけだし、あれだけの金貨が見つかったんだ、伯爵が無理に膨大な借金を作る理由がなくなっただろう?」
アルは冗談めかして言うが、彼は重くなりかけた空気を和ませようとしているのだろう。
私たちにとって侯爵たちの黒い噂など聞き飽きて慣れきったものだが、それを女性に聞かせるには気が引ける。
彼らが何人もの女性を慰み者にしているなんて噂、耳をふさぎたくなることだろう。
だから敢えて私もアルも噂の詳細についてこの場で触れることはしたくなかった。
それにアルが言ったことも一理ある。
大量の金貨を残すことのできる伯爵が、借金をする理由がないのだ。
あれだけの財産を作れるのなら自らの収入で十分生活できたはずだし、例え何らかの理由で大金が必要になっても、命と引き換えにすることはないだろう。
仮に「娘のための蓄えには決して手をつけたくない」と考えたとしても。
伯爵ほどの人物ならば全ては命あってこそだと解っているはずだから。
「さてと、話がまとまったところで僕は失礼させてもらうよ。イリーネと散歩に行く約束があるんでね。君の妹を連れだすけどいいかな?」
「好きにしてくれ。イリーネは私よりアルに懐いているんだ、ダメだと言ったところでどうやっても外へ出だすだろう。あの子の事は任せた」
言ったそばからイリーネがこっそり脱走する様子が目に浮かぶ。
一人で外出されるよりアルが一緒にいてくれるなら、その方が遥かに安心出来るというものだ。
私の言葉を受け取ったアルは爽やかな微笑みを残して部屋を出ていった。
「ふふ、アルトゥール様とイリーネ様は本当に仲がよろしいんですね」
「実の兄が少々嫉妬するくらいにはな」
そんな言葉も素直に出てくる。
偽らなくていい相手というのは、何とありがたい存在だろう。
恐らく私の気持ちなどアルには筒抜けだろうが、言葉にするとしないとではこちらの心持が違う。
窓から外を眺めれば、ゆっくりと車いすをアルに押してもらいながら、楽しげに笑うイリーネが見えた。
「イリーネがああしていられるのは、本当にアルのおかげなんだ。私には言えない事も彼には話せるらしい。イリーネは私に少し遠慮しているんだ。好き勝手言っているように見えて迷惑をかけたくないからと甘えることがない」
「ディー様の事を思っているからこそ、ですよ。イリーネ様はとてもお優しいもの。私の事までいつも心配してくださっています」
「大好きなエルお姉様、だからな」
「まあ。大好きなディー兄様、ともイリーネ様のお顔に書かれていましたよ?」
「だといいんだが。誰よりも頼りになる妹だよ。そんなあの子がエルの幸せを願ってる」
「あなたの幸せも願っていらっしゃるわ」
「つまり私たちの幸せがみんなの幸せということか」
「素敵な事ですね」
ぽつりと呟かれたその言葉が、小さな波紋を作って胸の中に広がっていく。
そうだ、願いを叶えることは「素敵なこと」なのだ。
不意に彼女の言葉で実感する。
そして
「幸せに、なりましょうね」
視線を重ねたままもたらされた温かな囁きは、私の凝り固まった想いを溶かしてふわりと包み込む。
幸せに。
互いを想いあうことがこんなにも心を満たしてくれるのだと、私はこの時初めて「知った」のかもしれなかった。
続く