伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.16 後編
「こんなの嫌です」
「ん?」
「あっ…」
無意識に出してしまった言葉に自分ではっとした。
私、何を言ってるの?
子供みたいに拗ねた挙句、訳の分からない感情を露わにしてしまうなんて。
レディにあるまじき行為だわ。
だから「ごめんなさい」と、口を開きかけたけれど
「ごめ・・」
「ストップ」
彼の人差し指に制止された。
「?」
「謝るより、エルの気持ちを教えてくれ。からかうような口づけが嫌だった?」
「え…あ…」
違うわ。
問われれば改めて気付く。
確かにいつもみたいにしてやられたのはちょっと悔しかったけど、嫌だったわけじゃない。
恥ずかしかっただけ。
それに結局失敗したけどささやかな仕返しもしたし、楽しかったもの。
でも…。
「どうしてだか胸が痛いんです。私にも分からないけど、もやもやするの。何だかとっても、とっても…苦しくなるんです」
まるで子供の癇癪みたいでバツが悪い。
けれどディー様はあやすように髪を梳いて撫でてくれる。
「私にとっては全部初めてなんです。それなのにディー様はとっても慣れていらっしゃるから…」
「慣れる?」
「今までたくさん本を読んできました。歴史書も哲学書も…ラブストーリーやお伽噺もたくさん読んだの。でもどれにも書いてなかったわ、キ、キスにも色々種類があるなんて」
「うん?」
「ディー様がしてくれるキスはどのお話にも書いてないもの。だからいつも照れてしまうの。でもあなたはいつも平気な顔をしているし、きっと、その、私と違って…」
「経験豊富だ、と?」
「…」
慣れているのはつまりそういう事なのだと思う。
少し考えてからこくりと頷くと、ぴくりと彼の動きが止まって体の奥から吐き出したかのような盛大なため息が聞こえてきた。
それからぐっと力強く抱き寄せられて、左手を包まれながら彼の胸に導かれる。
触れた瞬間から伝わる微かな振動は、彼の心臓の音。
「分かるかい?どくどく言ってるだろう?」
言われてみれば彼の鼓動は短く一定の間隔を刻んでいる。
それは私の全身に伝わっている速い鼓動と重なる。
「私と、同じ」
「ドキドキしてるのか?」
「ええ。ディー様の音と一緒よ。これじゃどっちの音か分からないわ」
「つまり私も平気じゃないってことだ。慣れてるはずがない」
「綺麗な女性に囲まれていても?」
ああ違う、こんな事が言いたいわけじゃないのに。
どうして口は時々勝手に心と違う事を言葉にしちゃうのかしら。
駄々を捏ねているみたいで情けない。
けれどディー様は小さく苦笑いするだけ。
「確かにこれまで大勢の女性と接したことは認めよう。だがそれは「女性」としてじゃない。うるさく飛び回る虫を追い払うのと同じ感覚だ」
「…それはちょっと酷いわ」
「分かってる。でもそうしなければ身動きできなかったんだ。興味もなかったし余計な厄介事を背負う事にもなる」
「ちっとも興味なかったの?」
「なかった。イリーネを可愛く思う事はあるし、女性を綺麗だと思う気持ちもある。だがそれは家族に対する気持ちであり、他は絵画を見るのと同じだ。恋愛感情を抱くようなものじゃない」
「じゃあ、キスは?」
「エルが相手だと自然に出来るんだ」
「!?」
ばっと彼を見上げれば、当たり前だろう?と視線が問いかけてくる。
「貴女をここへ連れてくる時もそうだった。泣き腫らした貴女を見たらたまらなくなったんだ。本当はあの時この指輪を渡そうとしたが、それどころじゃなくなったよ」
彼の大きな手が握ったままだった左手を滑るようになぞって、指先を掴んでから甲に口づけ、それから指輪に触れた。
言われてみればそうだったかもしれない。
馬車の中で交わしたキスは強烈過ぎて、他の細かな記憶を全て綺麗に吹き飛ばしてくれているから、あまり印象には残っていないけれど…どうして「バウムガルト公爵ともあろうお方が私に?」と思ったことは覚えている。
「不思議なのは私も同じだよ。時折舞踏会の片隅で男女のやり取りを目にしたことはあるにせよ、貴女に会うまで誰ともしたことはない。全てはエルのおかげだ」
こつんと、軽く額をくっつけられて、互いの鼻頭が触れる。
それは唇を重ねるよりこそばゆい。
思わず顎を引くと、彼の大きな手で後頭部をそっと抑えられて、また口付けられるのかと目を閉じて身構えたけれど、微かな吐息が耳元に届く頃には再び抱き込まれていた。
「これも、自然と出来ちゃうの?」
「ああ。勝手に体が動く。理由は聞かないでくれ。言葉にするのは恥ずかしいから」
「…どうしても?」
「どうしても。そうだな、夫婦になった後なら話してもいい」
「約束ですよ?」
「必ず。だから心配するな。私が触れたいと思うのはエルだけだし、こんな風に近付くのも貴女だけだ。私が幸せになるために必要なのは、あとは貴女だけだから」
ズルいわ。
「二人で幸せになるんだろう?」
そんな風に言われたら、私は何も言えなくなる。
そっぽをむいていた気持ちもいつの間にか彼の方を一直線に向いていて、心は嬉しさで溢れているから。
「ご機嫌は治ったかな?」
「ええ」
「それじゃあ一つ頼みがある」
「何?」
「私は明日から宮廷の仕事とヨアヒムの調査とで奔走することになる。その間貴女には婚約披露の準備を進めておいてほしいんだ」
「分かりました、喜んで」
「詳細はブルクハルトが指揮するし、細々したことはゼルダたちや他の執事たちがやってくれるだろう。エルには料理や飾り付けを決めてもらいたい。忙しくなると思うが、頼んだぞ」
「はい!」
すっかり気分の浮上した私の返事に、彼は優しく髪を撫でることで応えてくれた。
続く
「こんなの嫌です」
「ん?」
「あっ…」
無意識に出してしまった言葉に自分ではっとした。
私、何を言ってるの?
子供みたいに拗ねた挙句、訳の分からない感情を露わにしてしまうなんて。
レディにあるまじき行為だわ。
だから「ごめんなさい」と、口を開きかけたけれど
「ごめ・・」
「ストップ」
彼の人差し指に制止された。
「?」
「謝るより、エルの気持ちを教えてくれ。からかうような口づけが嫌だった?」
「え…あ…」
違うわ。
問われれば改めて気付く。
確かにいつもみたいにしてやられたのはちょっと悔しかったけど、嫌だったわけじゃない。
恥ずかしかっただけ。
それに結局失敗したけどささやかな仕返しもしたし、楽しかったもの。
でも…。
「どうしてだか胸が痛いんです。私にも分からないけど、もやもやするの。何だかとっても、とっても…苦しくなるんです」
まるで子供の癇癪みたいでバツが悪い。
けれどディー様はあやすように髪を梳いて撫でてくれる。
「私にとっては全部初めてなんです。それなのにディー様はとっても慣れていらっしゃるから…」
「慣れる?」
「今までたくさん本を読んできました。歴史書も哲学書も…ラブストーリーやお伽噺もたくさん読んだの。でもどれにも書いてなかったわ、キ、キスにも色々種類があるなんて」
「うん?」
「ディー様がしてくれるキスはどのお話にも書いてないもの。だからいつも照れてしまうの。でもあなたはいつも平気な顔をしているし、きっと、その、私と違って…」
「経験豊富だ、と?」
「…」
慣れているのはつまりそういう事なのだと思う。
少し考えてからこくりと頷くと、ぴくりと彼の動きが止まって体の奥から吐き出したかのような盛大なため息が聞こえてきた。
それからぐっと力強く抱き寄せられて、左手を包まれながら彼の胸に導かれる。
触れた瞬間から伝わる微かな振動は、彼の心臓の音。
「分かるかい?どくどく言ってるだろう?」
言われてみれば彼の鼓動は短く一定の間隔を刻んでいる。
それは私の全身に伝わっている速い鼓動と重なる。
「私と、同じ」
「ドキドキしてるのか?」
「ええ。ディー様の音と一緒よ。これじゃどっちの音か分からないわ」
「つまり私も平気じゃないってことだ。慣れてるはずがない」
「綺麗な女性に囲まれていても?」
ああ違う、こんな事が言いたいわけじゃないのに。
どうして口は時々勝手に心と違う事を言葉にしちゃうのかしら。
駄々を捏ねているみたいで情けない。
けれどディー様は小さく苦笑いするだけ。
「確かにこれまで大勢の女性と接したことは認めよう。だがそれは「女性」としてじゃない。うるさく飛び回る虫を追い払うのと同じ感覚だ」
「…それはちょっと酷いわ」
「分かってる。でもそうしなければ身動きできなかったんだ。興味もなかったし余計な厄介事を背負う事にもなる」
「ちっとも興味なかったの?」
「なかった。イリーネを可愛く思う事はあるし、女性を綺麗だと思う気持ちもある。だがそれは家族に対する気持ちであり、他は絵画を見るのと同じだ。恋愛感情を抱くようなものじゃない」
「じゃあ、キスは?」
「エルが相手だと自然に出来るんだ」
「!?」
ばっと彼を見上げれば、当たり前だろう?と視線が問いかけてくる。
「貴女をここへ連れてくる時もそうだった。泣き腫らした貴女を見たらたまらなくなったんだ。本当はあの時この指輪を渡そうとしたが、それどころじゃなくなったよ」
彼の大きな手が握ったままだった左手を滑るようになぞって、指先を掴んでから甲に口づけ、それから指輪に触れた。
言われてみればそうだったかもしれない。
馬車の中で交わしたキスは強烈過ぎて、他の細かな記憶を全て綺麗に吹き飛ばしてくれているから、あまり印象には残っていないけれど…どうして「バウムガルト公爵ともあろうお方が私に?」と思ったことは覚えている。
「不思議なのは私も同じだよ。時折舞踏会の片隅で男女のやり取りを目にしたことはあるにせよ、貴女に会うまで誰ともしたことはない。全てはエルのおかげだ」
こつんと、軽く額をくっつけられて、互いの鼻頭が触れる。
それは唇を重ねるよりこそばゆい。
思わず顎を引くと、彼の大きな手で後頭部をそっと抑えられて、また口付けられるのかと目を閉じて身構えたけれど、微かな吐息が耳元に届く頃には再び抱き込まれていた。
「これも、自然と出来ちゃうの?」
「ああ。勝手に体が動く。理由は聞かないでくれ。言葉にするのは恥ずかしいから」
「…どうしても?」
「どうしても。そうだな、夫婦になった後なら話してもいい」
「約束ですよ?」
「必ず。だから心配するな。私が触れたいと思うのはエルだけだし、こんな風に近付くのも貴女だけだ。私が幸せになるために必要なのは、あとは貴女だけだから」
ズルいわ。
「二人で幸せになるんだろう?」
そんな風に言われたら、私は何も言えなくなる。
そっぽをむいていた気持ちもいつの間にか彼の方を一直線に向いていて、心は嬉しさで溢れているから。
「ご機嫌は治ったかな?」
「ええ」
「それじゃあ一つ頼みがある」
「何?」
「私は明日から宮廷の仕事とヨアヒムの調査とで奔走することになる。その間貴女には婚約披露の準備を進めておいてほしいんだ」
「分かりました、喜んで」
「詳細はブルクハルトが指揮するし、細々したことはゼルダたちや他の執事たちがやってくれるだろう。エルには料理や飾り付けを決めてもらいたい。忙しくなると思うが、頼んだぞ」
「はい!」
すっかり気分の浮上した私の返事に、彼は優しく髪を撫でることで応えてくれた。
続く