伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.17 前編



 翌日からディー様の忙しさは倍増した。
 朝早くから宮廷へ赴き太陽が西へ沈みかける頃城を出て、夜空がすっかり満天の星で覆われる頃になってようやくお屋敷へ帰ってくる。
 元々始祖の血を濃く受け継ぎ、代々王家に仕えてきたバウムガルト家は公爵の中でも大きな権限を持っており、加えて武術が得意なディー様は王太子殿下の剣の指南役も兼ねている。
 さらに将来の事を考えて社会情勢を学び始めた殿下にとって、ディー様は最良の師でもあった。
 早朝から殿下との鍛練に付き合い、午前から午後にかけては上院議員として国の政に携わり、夕方から夜にかけては秘密裏にお父様の事件について調査を続けてくれているのだ。
 時折アウシュタイナーのお屋敷へ行って様子も確かめてくれる。
 対して私の状況は未だ「大変危険」らしく、せっかく取り戻してあるお屋敷へ連れていけない事を彼はとても気にしてくれていた。
 アウラー男爵の手下と思われる人たちがお屋敷のある領地内をうろついているのだから仕方ないと思っているのだけれど、彼にとっては非常にもどかしい問題のようだった。
 懸命に動き回ってくれているディー様やアルトゥール様を思えば、ひたすら身を護る事に徹してバウムガルトのお屋敷にいるだけの自分がとっても情けなく思えるけれど、代わりに出来ることと言えば彼らの手を必要以上に煩わせることのないよう、ディー様から頼まれている婚約披露宴の準備を滞りなく進めること。
 今のところ最も優先すべきはそれだった。
 執事長のブルクハルトさんが用意してくれた料理リストの中から料理長と共に各種メインとなるおもてなしの一皿を決めて、さらに披露宴を行うホール全体の飾り付けはカーテンにシャンデリア、テーブルクロスから各所に生ける花々に至るまで色合いや生地にまでこだわるらしく、それらを職人さんたちやお屋敷に仕える人たち全員と打ち合わせをするとなるといくら時間があっても足りないような気がしてくる。
 料理長との味見をしながらの料理選びは役得感も満載で、一度にいくつもの料理をちょっとずつ味わえて幸せな一時だけれど、飾り付けの打ち合わせに至っては一筋縄ではいかない。
 バウムガルト家お抱えの仕立て屋さんは職人魂を激しく燃やす人で、ほんの微妙な色合いの違いでさえ見逃さず、世界中の布地を集めたのではないかしらと思うほどたくさんの見本を持ってきてくれていた。
 おかげでレースの遮光カーテンを決めるのにも数時間を要し、このままでは披露宴で使用する布製品全てが決まるまで実に一週間は費やしそうな様子だ。
 後には照明を担当するガラス職人との打ち合わせが控えているのに、こんな状態で間に合うかしら。
 本気で心配になるけれど、どんなことがあっても全て披露宴に間に合うようにできているから大丈夫だというディー様の一言で随分安心出来た。
 ご自分だって手一杯なくらいあれこれ抱えているのに、彼は毎日私を気遣ってくれる。
 物事を次から次へと決断するのは何て難しくて骨の折れる事かしら。
 初めてづくしの披露宴準備に追われる私を見守りながら、要所要所でディー様はアドバイスや意見を述べてくれる。
 それが何よりありがたかった。
 毎晩寝る前には二人きりの時間も作ってくれる。
 温かくて香りの良いお茶を飲みながら、彼は事件について分かったことも話してくれた。
 数日後、最初に判明したのは「ヨアヒム」の母親の名前だった。
 期待は薄かったものの近隣にある教会をしらみつぶしにあたったところで彼の洗礼記録が奇跡的に見つかったというのだ。
 ただし、彼の母親についてはどこでどんな風に生きてきたのか、さらには現在どこでどうしているのか一切不明である。
「カミラ・クリストフというらしいが、彼女の足跡が見えてこない。恐らくクリストフは彼女の父親の名前だろうが…、困った事にここに書かれている住所には何もなかった」
 ディー様は一枚の書面を片手で持ちながら、指でパンッとそれを弾く。
「建物すら残っていなかったし、辺りの住民に話を聞いても誰も彼女を知らなかった。牧師にしても代替わりしていて当時を知る牧師は亡くなっていたよ」
「まあ…」
「こうなってくるとこの名前も本名かどうか怪しいが…一応アルにも調べてくれるよう頼んでおいた。ただアルも苦戦しているから時間はかかりそうだな」
「苦戦?アルトゥール様が?」
「ああ。バルツァー侯爵の身辺を調べているが、みな一様に口を閉ざしていて誰も語ろうとしないんだ。侯爵を恐れているらしい」
「そんなに怖い方なんですか…?」
 本能的に聞いてはいけないと感じつつ、嫌な胸騒ぎに耐えられなくて問い返してしまう。
 アルトゥール様はディー様と同様とても弁がたつお方だし、人脈を考えても相当な広さを持っていらっしゃる。
 加えてディー様が相手を論破するタイプだとすれば、アルトゥール様は上手く丸め込んでしまうタイプだ。
 甘い姿の内側に鋭い牙と爪を隠し持っている。
 ソフトな人当りでいながら確証が持てるまで相手をじっと観察する慎重さも兼ね備えているから、緻密な計算をした上で調べているはずだ。
 実際アルトゥール様が私を敵でないと認めてくれたのは、ごく最近の事だと思う。
 何がきっかけになったか分からないけれど、彼の視線はいつも私の様子を探るようなものだった。
 もちろん表面上はそんなことおくびにもださなかったけれど。
 それだけ用心深く鋭い方だからこそディー様の良きパートナーなのだ。
 そのアルトゥール様が苦戦しているなんて。
 バルツァー侯爵は一体どんな方なのか。
 今まで散々舞踏会を避けてきた私はあまりにも貴族社会に疎い。
 こうなって初めて社交界の大切さに気付くなんて、本当に愚かな娘だ。
 かつての自分への腹立たしさと悔しさに自然と表情も険しくなる。
 ディー様はそれを「不安」と受け止めたようだった。
「心配するな、エル。どんな人物であれ簡単にアルや私に手を出すことはできないよ。もちろん貴女に手を出すことも」
「ええ…それは分かっています。このお屋敷にいれば必ず誰かが一緒にいてくださるし、警備も完璧だから怪しい人物が近寄ることも出来ないもの。でも侯爵様の噂について誰もが口を噤んでしまうなんて、それこそ彼に何か後ろめたい事がある証拠でしょう?バルツァー侯爵はどんな方なんです?」
「エルの言う通りだが…彼の噂については貴女の耳に入れたくないな。とても女性に聞かせられる話ではないんだ。彼と同じ男である私が聞いても不愉快極まりないものだから」
 そう言われれば何となく察しがついた。
 女性に出来ない話で犯罪めいたものと言えば一つだけ。
「侯爵様はアウラー男爵と同類であると…そういう事ですね?」
「…ああ」
 深いため息と共に彼は頷いた。
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