deep forest -深い森-
けれど。

だからと言って。


悲しいと思った事など、園生にはなかった。

栄ゑと、もう一人の乳母の千代が側にいてくれたし、祖父の邦生も忙しい仕事の合間をぬって相手をしてくれた。

父親の凉だって、別に園生を嫌っていた訳ではない。

ただ、凉も、母親の麗子も。

園生よりも、己が可愛かっただけだ。

まったく愛情を受けずに育った訳ではない。悲しかった訳ではない。

でも、何故かいつも…

誰かを求めて心が枯渇する。


あの日見た母の怒りも、涙も。

今の園生なら、止める事が出来るのだろうか。

遠く離れた森の中までも響いてきた、哀しい叫び声を。
血管の浮き出たコメカミを、武生の首にのびる筋張った細くて長い指を。
当時の自分は恐れ、震えて見ている事しかできなかったのだけれど。

「…兄さん?」

急に園生が黙ってしまったので、恐る恐る武生が口を開いた。

園生はハッとして。

「ああ、すまなかったな。オマエが洋琴なんて言うから、母の事を思い出してしまった」

ポロンポロンと、鍵盤の上を滑る指は、あんなに綺麗だったのに。

園生の中で母親の手は、指は、武生の首を絞めようと震える鬼女のそれに変わってしまった。
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