不滅の妖怪を御存じ?
「遅い。」
「気のせいですよ。」
女は眉をつり上げ爪を噛み始める。
藍は卵と肉をかき混ぜることに集中する。
どんなに腹は立っても客は客だ。
親子丼作りで手を抜いたらこちらの負けだ、と藍は思う。
箸を出さないくらいの嫌がらせはたまにするが。
人間どこかでガス抜きしないとやっていけない。
「弓月ー。」
カウンターから離れた場所でお客さんが弓月を呼ぶ声がする。
弓月は客となら普通に話せるのだ。
「湯、すごくよかったぞ。」
「それはよかった。」
一つだけ。
この銭湯が一つだけ誇れるところがあるとしたら、お湯だろう。
弓月が直々に管理している湯。
白く濁り、匂いはなく、しかしどこか神聖さがある湯。
藍は一度も入れてもらったことがない。
「この湯に決して触れてはならぬ。湯槽の掃除もわたくしがする。お主は床だけ掃除しろ。」
仕事を手伝い始めたときに弓月にそうキツく言い渡された。
一度でいいから入ってみたいのだが。
しかし弓月が許してくれないだろうな、と藍はため息をつく。
そうして夜は更けていった。