オクターブ ~縮まるキョリ~
「そういえば永山くん…さっき、わ、私のことを泣かせるやつは…って言ってたけど、私、泣いてみえた?」
帰り際にわざわざ聞くようなことではなかったけれど、なんとなく気になって尋ねてみた。
…いや、もしかしたら、私は単に彼を引き留めたかっただけなのかもしれない。
「いや、泣いてないとは思ったけど。でも、すげー泣きそうだった。」
「え……」
「……なんでだろうな…俺さ、あんたの泣き顔見たくなくてさ……気付いたら、勝手なこと言ってた。」
永山くんは、ケータイをぎゅっと握りしめて言う。
そして、唇を軽く噛む仕草をした。
「泣き顔は見たくない」なんて。
私の目の前の彼は、恋愛ドラマで耳にしたことがあるようなセリフを言った。
それも、さっき私をかばってくれた時のような、冷めた表情ではなく。
何かすごく考えて、悩んでいるような表情で。
うつむいた横顔が少し赤いのは、屋台の明かりのせいだろうか。
普段は物静かで、あまり感情を顔に出さない永山くんの、見たことのない表情に、胸がドキドキと高鳴る。
どうして、どうしてそんなに切ない顔をするの。
本当に、勘違いしてしまいそうになる。
「…っじゃな、気を付けて帰れよ。」
突然慌ただしくケータイをポケットに突っ込み、永山くんは自転車にまたがった。
「あっ、う、うん。ありがとね、ほんと」
「ん、じゃな」
永山くんはそう言ってぐっとペダルを踏み込み、自転車を走らせた。
みるみる内に加速して、その背中はあっという間に見えなくなった。
残された私は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
…照れているような、不機嫌なような、幼い横顔。
意識させられてしまう、言葉たち。
永山くんの姿が完全に見えなくなっても、鼓動はずっと早いままだった。
セミの鳴き声が、ひときわ大きくなる。